ココロセラピストが語る!『言霊』とは?~コトバの使い方で人生は劇的に変わる! PART3~

言霊のパワーは、そう考えてみると、自分が思っているよりも、ずっと大きなパワーを秘めているのです。

そうなってしまうと天下のサンリオと言えども、開き直って「たあ坊にそのような設定はありません。
なので今後も商品を出します」とは言いづらくなってしまったのだと思います。
言霊パワーにより、奇妙なイメージが定着してしまった彼は消えざるを得なくなってしまったのです。
強調しておきますが、決して人気がなくなって自然淘汰されたわけではないのです。

誰かの言い放った「たあ坊って障害者?」みたいな些細なセリフがここまで大きな事件を引き起こしてしまったのです。誤解の無いように言っておくと、「それ、最初に言ったの誰?」という方向に誘導したいわけではありません。
おそらく、最初にその説を流した人も、きっと深く考えていたわけではないと思います。

でも、その些細な言葉は絶大なるパワーを放ってしまったのです。
これが、言霊の力です。

『たあ坊障害者説』は、本当に大きな影響力を僕たちに与えました。
先ほども話しましたが、そもそも障害者だとしたら何が問題なのかという件もそうですよね。
たあ坊は、決して悪いことはしていませんし、問題行動も特に見当たりません。
でも、差別だなんだと言われ続けて消されてしまったわけです。
そうなると、問題は彼だけでは済まされません。
世界中にいる障害者の方々だって「え? この事件って結局、障害者がなんだっていうの?」と思いますよね。
だって障害者の方が彼の姿を見て「私たち(障害者)に対する冒涜よ!」なんて誰も思わないと思うのです。
実際問題、彼は人気ですし、カリスマ性だってあるのですから。
『みんなのたあ坊』を消し去ったところで、障害者に対するモヤモヤは簡単には消えなかったのではないかと思います。

 

ルドルフ・シュタイナー

せっかくの機会なので『たあ坊』の話題から少し脱線した話をします。
少し前(僕が知る限り90年代頃ではないかと思う)に「障害者は天使!」という言葉が一部で流行りましたよね。
実はこの話、「たあ坊=知的障害者」と密接な関係があるのです。

まず言霊パワーを使って、僕の言い分を先に伝えて置きます。「障害者は天使」も差別です。
天使が障害を持ったら「障害を持った天使」ですが、それはそれです。
というのも、僕たちは人間だという事を忘れないで欲しいのです。

おそらく障害者に対する憐みのような感情が障害者に対して『天使』という言葉で慰めているのだと思います。けれども、特殊な宗教を除いて考えれば、障害者の方々は「もっと、普通に、人として接して欲しいな……」と思っていると思うのです。

天使といえば聞こえは良いですが「ヒトではない何か」という扱いには変わらないのです。
「障害者は天使!」という言葉を使っている人たちにも悪意が無いのはわかるのです。
ただ言霊パワーで潜在意識的に「嗚呼、障害者は人間じゃない扱いなのね……」というふうになってしまうリスクがあるという事を意識して欲しいのです。

どうしても天使という言葉を使いたければ「あなたは天使のように美しい心を持っているわね!」という具合に、障害に対する比喩ではなく本人自身に対する比喩として使ってあげて下さい。
それなら、素直に喜ばれると思います。
ちょっとした言い方の違いですが、言葉の使い方を少し変えるだけで意味合いが大きく変わります。

さて。ここでシュタイナーについて話をします。
学校の先生が一度は習うであろう『シュタイナー教育』の方です。
別に、難しい話をしたいわけではないので安心して下さい。

実は「障害者は天使」のルーツはシュタイナーかもしれません。
シュタイナーといえば教育者的なイメージが強いと思います。
というか、そういうふうに教わると思います。

なのですが、彼には別の側面もあったのです。
それは神秘思想家。
わかりやすくいえば、今でいうスピリチュアル系(オカルト含む)の人ということです。

そして彼はこう言ったのです。
「ダウン症児は天使に似ている!」と。
天使と言っても、美男美女の天使ではなく、恋のキューピッド的な子供のイメージの天使です。
何故、一般的な子供ではなくダウン症の子供と限定的な言い方をしたのかは僕にはわかりません。
おそらく頭がやや大きめの、的な感じでそのように表現しただけかもしれません。
もしかしたら差別的な気持ちは無かったのかもしれません。
でも、言霊パワーでそれは、いつしか「障害者は天使!」という微妙にズレた障害者に対する認識に発展してしまった可能性も否めません。