電話が確かに説明のつかないものである証明〜ITC, EVPシリーズ

アドルフ・ホームズは肺癌で1997年10月5日に亡くなり、早速その翌日に妻のロシがいる自宅と、マルコフがいるシュヴァイヒに電話をかけてきました。

ある預言者によると、現在人類はジェットコースターの、最初の上り坂を登りきったところにいます。
4/27頃から何かのエネルギーを感じている方が、きっといるのではないでしょうか。

そのような状況でどのように生きていって欲しいかが、今書いているシリーズの最終結論になります。
今回と次回は結論に少しでも早く行き着くために、長めに書きます。

そして次々回に、3/4から続いたこのシリーズを振り返りながら結論を書いていく予定です。

 

モニタリングサービス

ホームズは、1996年、むこう2ヵ月の間にかかってくるすべての電話をモニタして発信源を突き止めてもらうようにドイツの電話会社「Deutsche Telekom」に頼みました。

発信源のモニタサービスが整ってから、ホームズは超常的な電話を、1月15日/1月30日/2月15日/日付記録のない日の4回にわたって受け取りました。
1月15日午後3時35分の電話は女性の声でこう言っています:

「母です。親愛なるJuenken(ホームズの幼いころの愛称)。センコウスキとデラヴレ(前々回前回の記事参照)の情報は、おまえの電話コンタクトの信頼性を証明するのを助けてくれます。今回のモニタサービスの結果は、おまえの友人たちを納得させるでしょう。これから何度か電話します。おまえも知っているとおり、私の思考はそちらの会話パターンとは違う形で送られて、その振動がそちらの電話とうまく結び付いたときにコンタクトが可能になります。私たちは皆、おまえを愛しています。コンタクトを終わります」

ホームズとその家族は、モニタされている電話で受けた通話は、この4件以外には一切なかったと報告しています。
3月14日付の電話会社のレポートは、次のようになっていました。

Deutsche Telekom

受注:1995年12月13日
番号:PKV 1-5 Thomas Binz
件名:端末065087511への電話発信源について

ホームズ様
1996年1月11日から3月11日までの電話モニタサービスが終了しました。
ご利用期間中にかかってきた電話はございません。
本サービスの料金として127DMが次の請求に加算されます。
またの御利用をお待ちしております。

Thomas Binz

あの世からの電話の発信源は特定できず、このように、電話自体がかかってきた記録が無いこともあります。

 

ホームズの死後の電話

アドルフ・ホームズは肺癌で1997年10月5日に亡くなり、早速その翌日に妻のロシがいる自宅と、マルコフがいるシュヴァイヒに電話をかけてきました。
マルコフはその内容を録音し、研究者たちに公開しました。

ホームズは電話で、「バイクラリーの場所にいた若いやつと一緒に来た」と言いました。
それが誰なのかマルコフが聞くと、ホームズはオズバーグのバイクラリーで殺された若いやつだと言い、彼が何か言っていると言い出しました。
その後「今一緒にいる彼は、撃たれた、撃たれて死んだ。聞こえているか?」と言ってきたのです。

マルコフが電話の後に地方新聞を調べたところ、18歳の少年がバイクラリーのイベント中に撃たれて殺されたことが載っていました。
また翌日の10月7日に、ルクセンブルクのマギーがタイムストリームからこの交信について補足する情報を受け取っています。それによると、この少年がホームズに引き寄せられたのは、同じドイツで研究していたクラウス・シュライバー(3/31の記事に、彼が受信したテレビ画像が紹介されています)と一緒に、そのバイク狂の息子ロバートがホームズの到着を待っていたからだと言います。バイク好きという趣味の一致が引き合う要素となったわけです。

このように、あの世との交信の確かさは、多方面から確認できます。
それにもかかわらず、研究者同士の猜疑心から、一旦世界に広まった交信ネットワークは、最終的にルクセンブルクだけになってしまうのです。

 

コンタクトフィールド

あの世と電子機器を用いて交信するITCにとって、研究者チームの集団思考は、使用する機械類よりもずっと大きな役割を担います。
ルクセンブルクの夫妻は他界側の同僚からこう言われました。

「君たちが組み立てている装置は、関係者たちの精神的な進歩が十分でなければ機能しないだろう」

電子機器を用いた超自然的なコンタクトの間、振動の場、またはコンタクトフィールドが、両側の「すべて」の関係者の間に生まれます。

これは関係者全員のテレパシー能力・思考・態度(特にITC研究に対する態度)によって形成されると言われています。
もし観衆の誰かが他界からの声の真実性を疑うと、その疑惑はこのグループの交信の可能性を抑制してしまいます。

ルクセンブルクでのITCセッションは、かつて一般に開放されていました。
興味のある者は誰でもコンタクトフィールドの一部となり得たのです。
しかしそのフィールドはすぐに、実験を疑問視する人たちのネガティヴな精神的影響を受けてしまいました。
研究者たちの生活はすぐに事故や病気、仕事上の衝突や問題によって侵されはじめたのです。

 

科学との協力

このようなコンタクトフィールドの性質のため、科学との協力は慎重に行わなければなりません。
センコウスキーとデラヴレは「真」の科学者で、彼らとの共同作業は問題ありませんでした。
一方、たいていの「自称」科学者たちは最初から、このような現象は起きるはずがない、という前提で調査を始め、いたずらにコンタクトフィールドを乱していくだけなのです。

ITC研究者たちの世界ネットワークINITができてから、コンタクトフィールドは世界に広まりました。
そして加入国も多くなってきたとき、科学者を招き入れて調査してもらおうという意見が出てきました。
しかし、ルクセンブルクの夫妻は、それまでの経験からこの案を否定しました。
そこに、「そこまで否定するのは、あなた方が偽物だからでは」と言い出す人が出てきたのです。

この後も研究者間の疑惑は膨れ上がっていきます。
続きはまた次回に!

 

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