こんにちは。マユリです。
前回、奈良の大神神社には、大和朝廷の侵攻時に処刑された先住民の男たちが埋められており、大和朝廷に縁のある女性が、そこにいって寝込んでしまったお話をしました。
「私は大神神社が好きで、神聖な気を感じます……そんな怨霊がたくさんいるなんて……」と、ある生徒さんが、当惑されていました……
それを言うならば、天満宮も神田明神も怨霊を祀っていますよね。
でも、そこが大好きで癒されるという人は、たくさんいます。でも、苦手な方もいます。
それは、その方が祀っている神様同士の相性や、その方自身の過去世の縁によるのです。
日本人と怨霊信仰
怨霊とは、恨みをもって亡くなった方が死後、祟りや災いを起こすことです。
歴史上有名な怨霊は、菅原道真(天満宮)平将門(神田明神)崇徳上皇(白峰神社)早良親王(御霊神社)井上内親王(御霊神社)……など、枚挙にいとまがありません。
祟りが起きたらどうするのか? 祟りを収めるためには、怨霊を祀ります。
怨霊の怒りを鎮めるために、社(やしろ)を創建して、「素晴らしい住まい、素晴らしい食事、大勢の召使をかしずかせて」鎮まってもらうのです。
社には、封印の意味合いもあります。
怨霊に勝手に動き回られて暴れられると困るので、社をつくってその中に鎮まってもらう——つまり、荒ぶる怨霊を、社の中に封印するのです。
その最たるものが、出雲大社です。
封印された大王——大国主
以前、出雲大社に行かれた後、なんだかしんどさが取れないという方の、セッションをしたことがあります。
上品な50代の女性なのですが、お茶を飲みながらお話をしているときに、「すいません、あの、チョコレート食べていいですか?」と、チョコバーをカバンから出して突然食べだしたのです。
いざセッションという時にも、「すいません、コンビニに行ってきていいですか? 自分でも変だと思うんですけど、この頃、急に空腹感に襲われて、もう我慢できなくて……」といって、おにぎりを買いに行かれたのです。
子供ではあるまいし、いくら空腹でもこれはちょっと変です。
そう、なにかあります……
石を置くと、変性意識状態になった女性は、こういいました。
「息苦しい……」
「息ができないの?」
「できないほどでないけど息苦しい……それよりもお腹がすいた、すごく……ずっと何も食べていない……」
「どこにいるの?」
「暗い中、どこかに閉じ込められてる……」
彼はある国の王でした。ある日突然、敵が攻めてきて、あまりの軍事力の違いに、自ら降伏して、囚われの身となったのでした。
「奴らの剣は簡単に折れない。奴らの馬は、どこにでもいく。」
どういうことか聞くと、味方の剣は、切るというより殴るという感じで、しかもよく折れていましたが、敵の剣は頑丈でなかなか折れないとのことでした。
とらえられた彼は、敵の神官の託宣によって、土中に生き埋めにされることになりました。
正確には、「永遠の命を得て神となり、60年後に復活する」というのです。
現代人からすると、体のいい処刑の口実に聞こえますが、当時の人々は本気でした。
彼自身も半信半疑ながら、「自分は永遠の命をえて、神になるかもしれない」と期待していました。
生き埋めといっても、小さな穴に放り込まれ直接土をかけられた大神の人々と違い、
彼の処刑は、まるで入滅の儀式のようでした。
四方を見渡せる小高い丘の上に、飛鳥の石舞台のような巨石を載せた竪穴が用意されました。
そしてそこに入っていったのです。