■人間を癒す薬としての植物。 ~2~インド生活『村上アニーシャのアーユルヴェーダ』~vol. 177

植物

人間は、直接的な知覚を通して生命を意識に変換する、「意識の植物」です。
植物は、人間のこのプロセスを助け、私たちの心と神経系を肥やします。
植物は私たちに、外にある太陽のエネルギーとの交わりをもたらし、私たちの内なる植物(つまり私たちの神経系)に、内なる太陽との交わりをもたらします。

こうして外側の植物と内側の植物の間に適切なリンクを確立することで、光と生命の回路が完成します。
そして、心が解放された意識の自由な流れが確立します。
こうして生きる喜びの祭典が生み出されます。

私たちが植物を神聖なものとして、またすべての自然との交わりの手段として植物に価値をおくとき、神経系と知覚が活性化します。

このことを知っていた多くの古代人たちは、植物界へ畏敬の念を持っていました。
それは迷信的な畏敬の念や、植物界の美しさへの単なる感覚ではなく、植物が私たちにもたらす力を理解していた、ということです。

植物からの力は、単にその植物を食べるだけでなく、植物との完全な交わりの中で受け取ることができます。

古代インドの賢者たちは、このような意識を持ってヒーリングやハーブに取り組んでいました。
現代医学のような「実験の科学」ではなく、直接参加型の形でした。

実験には距離があり、観察者と観察される物、主体と対象の間に区分けがあります。
このため死体の解剖では、魂が見過ごされます。

直接知覚、瞑想は、ヨガの科学です。
ヨガでは、本質、自己の中にあるもの、それ自体を開示することができます。
これが起こると、物質的、精神的な可能性の完全な啓示が起こります。

古代の見識者たちは、知覚のヨガに精通していたので、植物は見識者たちに話しかけることができました。
こうして植物は、見識者たちにその秘密を明らかにしたのです。
その多くは、化学分析よりもはるかに微妙なものです。

今日も同じように植物にアプローチできますが、人間の自己顕示欲のための対象としてではなく、植物との一体感が不可欠です。

植物の真価は、私利私欲を排した使い方をすることで開花するので、真の植物学者になることは、見識者になることを意味します。
ハーブの存在に敏感になり、宇宙の植物の光と受容的な意識でコミュニケートすることを意味します。

それは、植物が話すときに耳を傾けることを学び、植物を他の人間のように話し、それを自分の教師として見ることなのです。

(The Yoga of Herbs より)

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インド生活時代、アーユルヴェーダのハーブの種類の多さには本当に驚かされました。

植物

(インド古代の賢者〈リシ〉)

また、このハーブは皮膚病にいい、これは髪にいい、これは肝臓にいい、これは何々にいい、といったように、ハーブごとの効能リストが永遠に続くわけなのですが、

一体どうやってこれらひとつひとつのハーブが、人間の体のどの部分に効くのかを知ることができたのか。
当時はまったく謎で、まさに神業としか思えませんでした。

アーユルヴェーダというものは、古代インドの賢者(リシ)たちが、人類を病から解放するためにはどうしたらいいのか、ヒマラヤで瞑想して天に尋ねていたときに授かった智慧を書き記したものだといわれています。

実際、賢者たちは、自然界と完全に融合し、植物たちとテレパシーで会話することができていたために、このようなことが可能だったのですね。

そう考えてみると、自然破壊が人間にとってどれだけ致命的なことなのか、またどれだけ人類の病気を増やすことに繋がるかが、なんだかよくわかるような気がしますね。

 

(つづく)

 

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(トップ画像/植物は心理的また身体的な栄養を与えてくれる)