■人間を癒す薬としての植物。 ~3~インド生活『村上アニーシャのアーユルヴェーダ』~vol. 178

植物

・アーユルヴェーダ医学のスピリチュアル的な背景

アーユルヴェーダにおけるハーブの使い方をより深く知るためには、この「人生における身体的、心理的な側面などを含めた完全な癒しのための生命の科学」の基本的な考え方を知っておく必要がでてきます。

今回もやや哲学っぽい内容になりますが、できるだけわかり易く説明してみました。
結論を大雑把にまとめて言ってしまうなら、ようは人間も自然の一部であり、自然法則に合っていないことをしていると病気になりますよ、ということです。

では以下、もう少し噛み砕いてお伝えしてみたいと思います。

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古代インドの賢者たちは、人間を含めたこの世に存在する生き物の背後には、以下の二つの基本的原則があることを想定していました。

・プルシャ(purusha)
→原始霊、すなわち根本の気性、生命力、性分といった、意識の感覚の原理。

・プラクルティ(prakuruti)
→大自然、創造性の原理。精神と物質の二つの融合がすべてのものを生み出す。

すべてのものの中には、プルシャ(本質、個性、意識)と、プラクルティ(顕在化の力、創造的展開能力)の二つがあり、この二つの偉大な力が最初に結合したときに生まれたのが、宇宙知能(マハト)です。
この中にはあらゆる実体の種が含まれ、自然法則すべてが備わっています。

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(宇宙イメージ)

この宇宙知能は、個人の知能として私たち人間にも存在しています。
それは「ブッディ」と呼ばれるもので、目を覚ます、あるいは覚醒の手段(悟りを開いて仏になる完全な展開)で、現実と非現実を見極める知覚能力のことです。

ただ、この知性は、物質的な形に進化するときに、自我(分離した自己感覚)を生み出します。

私たちを生命の一体性から分断する、独立した自我(エゴ)の感覚は、分裂の原理であり、自意識を生み出します。

この自意識は自分自身の周りに保護的な思考の場を作り上げ、その中で私たちは束縛されてしまうのです。

そしてその精神性思考の溜まり場、チッタ(集合的な無意識)と結びつき、私たちは進化の初期段階の影響下に遡り、つまり動物の世界にまで逆戻りしてしまいます。

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アーユルヴェーダは、宇宙知能と調和した人生を目指した生命の科学です

この科学によって私たち自身の知性が完成されれば、自然との一体感が得られるようになります。
別の言い方をすれば、自然を通じて私たちは本当の自分にもどれる、ということです。

これが、「The Yoga of Herbs」によるアーユルヴェーダのスピリチュアル的な背景で、アーユルヴェーダ心理学の基礎となるものです。

これには、私たちは自我(エゴ)の法則を超えていく知性を目覚めさせる必要となります。
つまり、自我の段階で成長が止まってしまえば、私たちは動物的本能のワールドへ何度でも退化し、永遠に行ったり来たりを繰り返すようになる、ということです。

ただ、この自我は自然からのあらゆる逸脱の基礎となる地点なので、ここを通らないわけにはいきません。
そこが難しいところなのです……。

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(アーユルヴェーダ最強の若返りフルーツ「アムラ」)

アーユルヴェーダによれば、健康とは本来、自然なもの(プラクルティ)であり、病気は自然のものではありません(ヴィクルティ)。
※ヴィクルティについて詳しくは、後で触れていきます。

したがって、時間の経過(老化など)による自然なものを除いては、ほとんどの病気は「不必要な自意識」から生まれる心理的アンバランスから起こるもの、ということです。

そうです、そもそも病気とは、ウィルスとかからではなく、「不必要な自意識」から生み出されるものと、アーユルヴェーダでは考えられているのです。
(ちなみにアーユルヴェーダでは、風邪やインフルエンザは「ウィルス」から起こるのではなく、「過剰カファ蓄積」が原因で起こります)

5000年以上も歴史のあるこの生命の科学の考え方は、ウィルス原因とされるコロナ禍が世界中ではびこる中、とても斬新的な考え方だと思いませんか?

 

(つづく)

 

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(トップ画像/ハーブを身近に置くだけでもグッド)