神さまに導かれ、4か月で人生を劇的に変える~心と身体の引き寄せの法則「イジメと宇宙に宣言」~ オーストラリア体験記② Vol 13

朝のファッションショーにも慣れて、すっかりオーストラリアの家族の一員になれた気分になっていました。
英語はあんまり話せない、聞き取れないのに、なぜかここでの暮らしは、人生で一番居心地がよいと感じる時間でした。

朝目覚めると、大好きなホストファミリーの笑顔から始まり、夜眠るときは、星を見ながらキスをされて幸せな気持ちで眠ることができていたからかもしれません。

ここでは、「文句・愚痴・嫌な事」を言う人が一人も現れませんでした。
日本にいる時は、常に「人の目」に晒されていた気がします。

そして、小学生の時から「イジメ」という問題が私の中の人格形成に大いに影響があったなと感じることができるようになってきました。

そう、きっとこの時から私は、「もう一人の自分」が現れて会話ができるようになってきた気がします。

テレビを全く見ない、自然の中での暮らし、時間を楽しむ、毎日の暮らしを心地よく過ごす文化だったので、外部の刺激がなく、その分、自分の心と向き合う内観の時間がとれたからかもしれません。

アロマキャンドルの中、温かいココアを飲み、ゆっくり自分の部屋で英語を勉強しながら、ノートに自分の心を書いていく毎日が習慣となってきました。

 

●グレイの形成~イジメは個性を奪う最悪の問題~

オーストラリアでの暮らしは、本来の私をどんどん取り戻していきました。
「明るく・お調子者・元気・ポジティブ・活動的」自分でも、その変化にびっくりしました。

そうだ! 私って本当はこんなに明るかったのだ! なぜいつの間にか個性を失くしていっていたのだろう……。

そうノートに書いていくうちに、「イジメ」というキーワードが頭に浮かびました。
小学生4年生になった時から、クラスでイジメが起きるようになりました。
ボス的な女子がいて、その子が「あの子が嫌い!」といえば、周りもその意見に従って、無視をするようになりました。

私もそのターゲットになった子のことが嫌いではないのに、無視をするようになっていました。
理由は明快で、ただ「自分がいじめられたくなかった」それだけでした。

でも、イジメが始まってから学校生活は全く楽しくなくなりました。
常にビクビクして、イジメられている子が泣いていても無視をする最低な自分の存在、愛想笑いの日々に、とても辟易としていました。

そうやって過ごすうちに、私は「グレイの意見」というものを身に着けていきました。

YES OR NOのどちらでもないグレイの意見。

例えば、「ユリはハンバーガーとパスタどちらが食べたい?」と聞かれれば、「う~ん。どっちでもいいよ!」という感じです。

どんな意見を聞かれても、グレイで答えておけば、差しさわりはない、そうやって私はいつのまにか自分の意見というものを消していっていました。

「イジメられるよりかはマシだ!」

それが私の学生生活でした。
そう、個性を失くしたロボットのような日々となっていたことに自分でも気が付かないほどになっていたのです。

だから、オーストラリアでも当然私は、「グレイの意見」で対応していました。

ホストファミリーのお父さんから「今日、ユリはどこ行きたい?」と聞かれれば、「お父さんが行きたいところでいいよ!」そうやっていつも自分の意見を言わなかったら、事件が起きました。

オーストラリアでのご飯の量は、私には全く食べられない量がでていました。
でもいつもお母さんから、「このぐらいで大丈夫? たりる?」と聞かれれば、笑顔で大丈夫と答えて食べていました。

本当は、量が多すぎてきついのに、グレイの意見しかもたない私には言えなかったのです。