ココロセラピストが語る! 人間関係リセット症候群? ~解釈次第では必ずしもそれが間違いとは言えない~

人間関係リセット症候群とは?

人間関係リセット症候群という言葉があるそうです。
医学用語ではなく、いつの間にか定着した言葉だと思います。

とてもセンスの良いわかりやすいネーミングだと思います。
人間関係をリセットする症候群。
そのままです。
人間関係に何らかの不都合や不具合が生じたときに、一旦その人間関係に終止符を打ち、はじめからやり直そうという人たちのことを指します。

 

人間関係リセット症候群は負け組?

さて。ここで僕はある種の疑問を抱きました。
この人間関係リセット症候群に該当するであろう人たちは、どうも世間から負け組のレッテルを貼られているような気がしてならないのです。
まるで病気か障害であるかのような扱いです。

「人間関係を簡単にリセットしてしまうなんて、協調性なさすぎじゃない? そんなの社会で通用すると思っているの? 考えが甘すぎない? 現代社会はね、コミュニケーションの時代なのに。それができないって事は、つまり負け組なんだよ?」

と胸を張って主張する人もいると思います。

一理あるのですが、それはそれで極端ではないかと思うのです。

確かに、何も考えず、都合が悪くなると人間関係をリセットして、それを繰り返していたら、逃げ癖がついてしまい、信頼することもされることもなくなっていき、最後には孤独になってしまうかもしれません。

 

「和をもって尊しとなす」

もしかしたらこれは日本のステレオタイプな国民性の名残なのかなと思っています。
確かに聖徳太子も「和をもって尊しとなす」と言っています。僕も、この言葉は大好きです。

しかし、ここで考えて欲しい事があります。
『和』とは、穏やか、緩やか、無駄に争わない……。
そういう意味です。

でも、それができない何らかの事情があるからこそ、彼らは人間関係をリセットするという選択肢を選ばざるを得なかった……という考えも僕たちは理解する必要があると思うのです。

最初からサイコパスのように自分に利がないからといって、すべての人間関係を切り捨てているわけではないと思うのです。
その決断に至るまでの苦悩がきっとあると思うのです。

「もう、話し合いで解決できるレベルを超えている……」
「相手を叩きのめすか、自分が潰されるかしか道はない……」

そんな気持ちかもしれません。

人間関係を継続するにしても

「このまま媚び続けるのがコミュニケーションと言えるのだろうか?」
「自分の本音も言えない環境に居続けて良いのだろうか?」

そんな気持ちかもしれません。

それってもはや「和」ではありませんよね。
ちっとも尊くないです。
もちろん前向きな性格で「いかなる環境でも私が改善して見せる! みんな仲良しになれるはずだ!」という信念をお持ちの方は別です。

でも、自分自身の心身が本当に弱ってきたら、人間関係をリセットするという選択肢も必ずしも間違ってはいないと僕は思うのです。

「これ以上、人間関係を悪化させたくない……」
「これ以上、憎しみや悲しみの感情に支配されたくない……」
「これ以上、この人たちのことを嫌いになりたくない……」

僕はこういう気持ちも「和」に含まれるのではないかと思うのです。

変えられるのは他人ではなく自分だけ。
だとすると、リセットという決断をした人は、それをわかっているともいえます。