『最強』神話
僕たちは『最強』が大好きです。
男性に限った話ではありません。
女性も同様だと思います。
みんな『最強』が大好きなのです。
特に男性は子供の頃から少年マンガを読んでいたと思います。
少年マンガの王道は主人公が最初は弱くても、最初から強くても、とにかく、もっともっと強くなってとにかく『最強』に近づいて行くパターンです。
僕はマンガ大好き人間です。
だからマンガを悪く言うつもりはありません。
ただ、マンガに限ったことではありませんが、何も考えないで流されて読むと人は勘違いしたまま理解してしまったりする場合もあるので、そこは注意が必要だと思っています。
僕が大好きなマンガで『ドラゴンボール』というものがあります。
主人公の孫悟空は、幼少期から次から次へと現れる強敵と戦い、大人になってからは宇宙『最強』とか、そういうレベルになっていく物語です。
それがまた清々しいというか、ロマンを感じたりもします。
本当はもっと深いのですが、敢えて浅く解釈して書きます。
この作品はとても面白いです。みんな孫悟空がどんどん強くなって行く姿に興奮します。
でも、冷静になって考えるとあることに気がつくと思います。
「結局、『最強』って何なのだろう?」と。
だって、そうですよね。
次から次へと強い敵が出てきてエンドレスなのですから。
マンガとはいえなんと無茶苦茶なんだと思いますが、そんな無茶苦茶ができるのがマンガの醍醐味でもあります。
僕はマンガのそういうところが大好きです。
さて。無茶苦茶と言いましたが、実はその無茶苦茶な中にこそ本質的な何かが隠れているのではないかと僕は思うのです。
これは僕の個人的な意見ですが、僕はドラゴンボールを通して、こう感じたのです。
「『最強』というのは幻想だ」と。
ちなみに、『最強』を追い求める事が必ずしも悪いとか、主人公の孫悟空の生き方や考え方は間違っているとか、そういう話ではありません。
『最強神話』に執着する根底にある心理とは?
小さい時から、『最強』を目指すのがよしとされるような何かに触れ続けたから、僕たちは『最強』神話を信じてしまったのでしょうか。
そういう可能性もあるにはあると思いますが、僕はそれだけが原因ではないと思うのです。
そもそも僕たちが『最強』に憧れ、追い求める背景には何があるのでしょうか。
これこそがとても重要なポイントだと僕は思っています。
それは、言うと怒る人もいるかもしれませんがズバリ劣等感だと僕は思っています。
何故、そう思ったかというと僕自身が劣等感の塊だったので、よくわかるのです。
かつての僕は「もしも僕が『最強』だったら、もっと幸せになれたのではないだろうか?」とよく空想していました。
確かに『最強』なら「怖いものなし」です。
今、「怖い」という言葉を使いましたが、まさにこれが劣等感です。
劣等感が強ければ強くなるほど人は臆病になります。
だから『最強』になるということは、劣等感を消したいということに直結しないまでも限りなく近いと思うのです。
『最強』を目指し過ぎた人の末路?
これは僕の偏見に近いかもしれません。
でもいろいろな人と接して来て思った事があります。もしかしたら違っているかもしれませんが、それぞれ「本当のところどう何だろう?」と疑問や意見を感じてくれたらと思います。
『最強』を目指している人の末路は自滅ではないか。
僕はこんなふうに思っています。
ちょっと大袈裟に書きました。
厳密には必ずしも自滅ではありません。
でも、病んでしまったり、自分で自分を生き辛くしてしまったりしている気がしてならないのです。
『最強』というとイメージしづらいかもしれないので違う言い方をしましょう。
「ナンバーワン」といえば、なんとなくわかるでしょうか。
勉強でもスポーツでもルックスでも友達の数でも収入でも、多くの人はナンバーワンになりたいと思っています。
似た言葉に「オンリーワン」というものもありますが、ややこしくなるのでここでは割愛します。
ナンバーワンはナンバーワンでもちろん良いことだと思います。
でも、必ずしもなんでもかんでもナンバーワンを目指さなければならない訳ではありませんし、なる必要もないと思いませんか。
これを向上心がなくなるような話と解釈しないで下さい。
そういう話ではありませんからね。仮に一時的にナンバーワンになれたとします。
でも、それって永遠に続くものでしょうか。
「上には上がいる」という言葉がありますよね。
実際、上には上がいるのです。
自分が認識している世界など、所詮微々たるものなのです。