私という存在
「私は誰?」「私は何者?」というような哲学的な問いを誰もが一度は必ず考えたことがあると思います。
当然僕も考えたことがあります。
ここ数年は、耳にタコができるほど「ありのまま」という言葉を聞きました。
同時に僕自身もたくさん使ってきた言葉でもあります。
考えるのがだんだん面倒になって来た頃には、次第に自分という存在なんか気にしても仕方がないという意識になって来たという人も多いのではないでしょうか。
ある意味、それは自分自身を受け入れたともいえるかもしれません。
私という存在は、そもそも本当に固定された何かなのかどうかなんて誰にもわかりません。
常に変化している存在ともいえるのですから。
自分を見つめる
僕はココロセラピストです。
だから「人は誰でも迷うもの。だから、時々立ち止まって自分自身という存在をじっくり見つめ直すことが大切なんですよ。そうすることで自分の在るべき姿や人生のヒントが見えてくるかもしれません。そうすれば人生を軌道修正できますし、より良い未来に進めると思いますよ」と繰り返し言っています。
別にカウンセリングをゴリ押ししたいわけではありません。
ただ、結局のところ自分という存在は、やはりある程度は意識した方が意識しやすいと思うのです。
もしも僕たちが自分という存在を意識せずに存在するだけだったら、もしかしたら悩みなんてないのかもしれません。
たとえば道端に転がっている石ころみたいにただ存在しているだけだったら僕たちは悩みや苦しみなんてないのかもしれません。
「ただ在るだけ」と割り切れたらどんなに楽だろうと思う人もいるでしょう。
でもそこまで達観した人というのは現実的にはそんなにたくさんはいないと思います。
確かに、人生には良いことも悪いこともあります。
人生に限らず、モノゴトというのは多面性を持っています。
そういう意味では確かに「ただ在るだけ」なのです。
とはいえ楽しいことがあっても「ただ在るだけ」。
悲しいことがあっても「ただ在るだけ」。
そんなふうに考えていたら、ちょっと人生が空しい気がしないでもありません。
僕たちは様々な影響を日々、受けながら自分という存在を作り上げているのです。
TATSUMIの場合
僕は自己紹介があまり得意ではありません。
自分のコアなるものがないのかと言われると困ってしまうのですが、ついつい「自分という存在を説明するのってそんなに簡単なコトじゃないよな……」と思ってしまうのです。
もちろん仕事で自分を売り込まなければならない時には仕事用の自己紹介を作り込みますよ。
相談されれば「こんなふうに自己紹介したら良いんじゃないかな?」と助言することもあります。
今、この瞬間に自己紹介するなら先ほども書きましたが「僕はココロセラピストです」と言います。
確かにその通りなのですが、それが自分を簡潔に説明できているのかと言われるとそれもまた微妙だなと思うのも本音です。
だって、それって職業であり、肩書きに過ぎませんよね。
仕事の際はそれで良いですが、もっと広い意味で考えると「じゃあ、TATSUMIさんってどんな人なの?」と言われると、やっぱり自分という存在をどう説明するか頭を抱えてしまいます。
僕という人間は、自分では至って単純な人間だと思っていますが、考え出すと止まらない、ややこしい性格なのかもしれません。
決して、それが悪いという意味ではなく。
あなたは自己紹介が得意ですか?