しかし、もっと本質的に考えると、そもそも僕たちは歴史から何を学ぼうとしているのかという話になります。
年号と出来事と人名を暗記するのが目的では無いのです。
過去の人物や出来事から「良い事は真似し、悪い事は真似しないようにしよう。現代や未来を一層良くするために活かそう。良い例が無ければ別の発想を考えてみよう!」というためのツールだと思うのです。
話を戻して自分自身の過去と向き合うという作業も同じ事です。
特に個人レベルの時は感情も思い出して欲しいのです。
ある言動があったとします。
その言動の裏にはほぼ確実に感情が込められています。
ココロセラピストTATSUMIは怒りっぽい?
リアリティを出すために僕自身の話をしましょう。
僕は、どちらかというと直ぐに反撃してしまうタイプでした。
売られたケンカは即買いです。
そして相手を戦意喪失させる事を目的としていました。
よく考えてみるとわかるのですが、普通ならまず話し合いをして和解するのが妥当です。
でも瞬間湯沸かし器の如く、納得のいかない事があると瞬時に敵意をむき出しにして臨戦態勢に入ってしまうのです。
あまりにも瞬間的に戦闘モードに入ってしまうので、実はこちらの勘違いだったということになると大問題です。
冤罪で相手を攻撃してしまった事になりますから。
というわけで、過去の自分と本気で向き合っていると、いろいろな事が見えて来るようになりました。
そもそも、何故僕は瞬間湯沸かし器になってしまったのか。
相手との和解では無く戦意喪失させる事を最優先してしまうのか。
詳細は省きますが、遡ってみると僕は必ずしも好戦的な人間ではありませんでした。
和解できる問題なら和解したかったし、場合にもよりますが謝って済むなら謝りたいと思っていたようです。
でも、トラブルが起きた際に冷静に話し合おうという態度で挑むと、相手が激怒していたりするとここぞとばかりに攻めの姿勢でこちらに向かって来るわけです。
すると色々な意味で僕はダメージを受けます。
こちらが精根尽きはてるまで。
負け戦が続くうちに、僕は「やられる前にやれ。円満解決はありえない。やらなければやられる……」という思考パターンに変わって行ったのです。
好戦的にも見える僕の行動パターンは過去を辿って行くと『恐怖』の感情が僕の思考や行動パターンに大きく影響していたのです。
逆に言えば不必要な恐怖心から解放されれば、必要以上に攻撃的になって相手を叩きのめさなければいけないという思い込みから解放されるわけです。
絶対ではありませんが、僕に限らずキレやすい人や、やりすぎと思えるほど攻撃的な人は案外、根は臆病だったり小心者だったりするかもしれません。
過去のイヤな体験と感情が、何らかのきっかけで再生してしまうから攻撃的になるのです。
つまり、恐怖が原因で奇妙な攻撃性が習慣になってしまっていたのだとすれば、それに近い状況が起きた時の対処法を徹底して考えれば同じ過ちは繰り返さなくても済むようになるかもしれません。
僕も自分自身の過去と向き合ってからは、現状把握できないうちに率先して攻撃しようとは思わなくなりました。
押す時は押しますし、引く時は引きます。
そして、双方にとってどういう結果につなげるのがベストなのかということを考えられるようになってきました。
「失敗から学ぶ」というのは、そういう事なのかもしれません。
過去そのものは決して楽しいものではなかったとしても、過去の認識を変える事によって今という瞬間に過去を繰り返す必要は無いのです。
過去とは違う未来を今、きちんと考えて行動すれば良いのです。
そして、楽しかった時の感情、成功体験をした時の感情を思い出す事によって今という瞬間と同化させるという楽しい方法もあります。
過去も現在も未来も、良い方向に向けて役立てて下さいね。
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