ココロセラピストが語る!『過去・現在・未来』とは?~過去を見るのは本当に意味が無いのか?~

過去そのものは決して楽しいものではなかったとしても、過去の認識を変える事によって今という瞬間に過去を繰り返す必要は無いのです。

自分史を振り返る

心を扱う仕事をしているからか、僕は自分の事を振り返る事が多いです。
でも、そういう仕事をしていなかったら、もしかしたら自分の事を振り返る事はあまりなかったかもしれません。

あなたは、自分を振り返る事は多いですか、それとも少ないですか。

自分を知るには自分の過去は案外参考になります。
カウンセリングに限ったことではなく、最近流行りの回想療法も過去を扱います。
それは過去を知るメリットがあるからです。

 

過去なんてどうでも良い?

ただ最近の風潮として(?)言われている事を再確認してみましょう。
「過去に囚われるな!」「今が大事なんだ!」「未来を見ろ!」と、あれこれ言われています。
もしかしたら、あなたも何か1つくらいは聞いた事があるかもしれません。
そして、僕自身、人と話す時に、それらしい事をいう事もあります。
もちろん、良いと思っているから僕は、そのように声を大にして言っているのです。

では、今、何故過去の自分を振り返る話をしているかと言うと、やはり軽視できないからです。
では過去を見る事があまり良くないような風潮があるのは何故なのか一緒に考えてみましょう。

 

過去の延長に現在や未来を勝手に当てはめてしまう人たちがいる!

まず「昔からそうだった……」「昔は、こうだった。だから、今回もこうしよう……」的な発想が癖になってしまう危険性があります。
たとえば学校で頭髪検査という謎な文化があると思います。
でも、よくよく考えてみれば髪の毛の長さで成績が変わってしまったとか、そんな話は聞いた事がありません。
天然パーマな子がいたって不思議ではありません。
髪の色が茶に近い色の子だっていても不思議ではありません。

でも、学校という閉鎖的空間では、それらは異端児扱いされます。
「おい、お前! なにパーマなんかかけているんだ!」とか「茶髪は校則違反だぞ!」とか言われるわけです。
「ありのまま」とか「自分らしく」とか「個性が大事」とか、そんな事を言っている一方では、こうした差別がまかり通っているのです。

学校によっては特殊な子(?)には『地毛証明書』なる書類の提出が義務付けられるそうです。
あきらかに差別です。そういう旧時代の残党のような教師が現役で教壇に立っている事が信じられません。
当然、生徒の何割かは毎年必ずその理不尽さや矛盾に気づきます。

そして、その中の何割かは校則の見直しを提案します。
そして、教師の権力によって揉み消されてしまうのです。
「それは昔からそうだったから……」という理由だけで。

これは大人社会にも言える事です。
会社等で斬新な意見を言うと「前例が無い」と言って一蹴する人たちも多いと思います。
これは過去だけを見て来た結果です。