『既読スルー』はストレス!
最近では、FBにも個人メッセージに既読チェックの機能がついてしまったので、「チェックがついているにも拘らず、返信が無いとはどういうことだ?」と、LINEでいうところに『既読スルー』のストレスも新たに生まれました。
そもそも、『既読チェック』の必要性が僕にはわかりません。
でも、折角送ったメッセージが読まれていなかったらどうしようという不安もあるのかな、と考えれば納得もいきます。
ただ、考えて欲しいのですが『既読チェック』の機能は、「既読チェックで、メッセージを見ているかどうかはわかっているのよ! 見たならさっさと返事を出しなさいよ!」という意味合いで存在しているわけではないと言う事を、今一度みなさんに確認して欲しいところです。
既読チェックが気になる心理分析はここでは省きます。
ただSNSは、陰謀論的な解釈をなしで考えるなら、個人情報収集ツールでもなければ、監視ツールでもないのです。
レスポンスを急かす必要性があるのならメッセージではなく直接電話をした方が良いと思います。
あるいはメッセージでアポを取って、その時間に話し合えば良いのです。
SNSとは話がそれますが、僕の昔話をします。
あるケータイ電話もスマホを持っていない人が、時々僕のケータイに電話をして来ます。
それは、もちろん構いません。
ただし、いくら僕が携帯電話を持っているからと言って、いつでも何処でも電話に出られるわけではないと言う事は携帯電話を持っていなくても理解して欲しいものです。
しかし、その人は、直ぐに折り返さないと怒りだすのです。
たとえば運転中だと、運転しながら電話できません。
仕事中だったり、人と会っている時も同様です。
でも、相手はこちらの都合など関係無いわけです。
「履歴が残っているのだから、俺が用があって電話したのはわかっているはずだ。とぼけて、わざと遅い時間や別の日に折り返しやがって!」と怒鳴りつけられた事があります。
こちらも直ぐに返事が出来なかった事を申し訳なく思っているからこそ、折り返したのにとても悲しい思いをしました。
なので「いつでも電話に出られるわけではないので、せめて留守電に何時頃なら自宅にいるか、何時頃折り返しをして欲しいか入れて戴けますか?」と言うと「そんなに重要な用じゃないから」と言われました。
そんなに重要ではないのなら、何故きちんと折り返したのに怒鳴りつけられなければならないのか僕には理解できませんでした。
度々こういう事があるので、諦めた僕は運転中であっても、電話が鳴ったら強引に車を停めて即座に折り返しました。
「今何処だ?」と言う話になり「運転中です。電話が鳴ったので、路肩に一時停車しています」というと「そこまでする必要ないのに」と言いました。
しかし、それをしないと、やはり怒られるのです。
ちなみに、僕もできるだけ早く折り返すように心掛けてはいるのですが、相手は携帯電話を持っていませんし、ナンバーディスプレイもついていません。
留守電機能はついているそうなのですが、何故かいつも留守電セットされていません。
なので、仮に折り返しても相手が外出中だったり気付かなかった時は連絡がつかないのです。仕方がないので、別のタイミングで折り返し「○時頃、折り返しましたが不在だったようなので……」というと「俺だって、いつでも家に籠っているわけじゃない。外に出ることだってある。当たり前だ!」と言われました。
「いえ。僕は文句を言っているのではなく、折り返しが遅くなってしまったみたいになってしまいましたが、先ほども折り返したと言う事をお伝えしようと思っただけです」と言ったら、やはり怒られました。
携帯電話を持っているというだけで、いつでも何処でも電話に出るか、折り返す義務が発生するのなら、携帯電話を叩き壊して、解約したいと思いました。
この例は極端かもしれませんが、携帯電話の番号にしろ、FBにしろLINEにしろ自分の情報を開示する時は本当に相手を見極めてからの方が良いです。
家族であれ友人であれ、職場の人であれ、ネットで知り合った人であれ同じ事です。
場合によっては犯罪に繋がる危険性すらあります。
良いですか。
携帯電話の履歴やFACEBOOKやLINEの『既読チェック』はストーキング機能ではありませんし、相手を操ったり脅すツールではありません。
それをくれぐれも履き違えないようにして欲しいと思います。
ちなみに、それ以後、僕は連絡手段はPCのE-MAILをメインにしています。
知り合いにも「極力電話しないで欲しい」と言っています。
仕事の依頼もFACEBOOKから送られて来ると、気付くのが遅くなってしまう可能性があるのでお断りしています。
仕事用の専用フォームから連絡を戴いています。
わがままかもしれませんが、逆に言えば、それを理解してくれる方のみと接しているので安全度は格段に上がりました。
もし、身近に、そう言う人が少数でもいたら、これを機に理解して欲しいので、それこそSNSの機能を使って、この記事をシェアしてくれると嬉しいです。誰かが言わなければ気づきませんから。偶然でも、この記事を読んで「そうだったのか!」と思ってくれる人がいたら、それこそこの記事に存在価値があると言うものです。