前回は古事記の中の三女神の正体、ということで書きました。
では、日本書紀には三女神がどのように記述されているのでしょうか。
日本書紀の記述を見つつ三女神の秘密に迫りたいと思います。
日本書紀は外国向けに漢文体で書かれたもの
日本書紀の編纂は720年ということで、古事記よりも8年遅く成立しています。
日本書紀は「本文」と「一書」とで構成されていて、一書は「ある書に曰く」で始まります。
ある書とは「帝紀」「旧辞」「豪族の墓記」「朝廷の記録」「手記」「外国の文献」などの資料です。
編纂には多くの皇族・貴族がかかわっていて意見が分かれ、一つの物語にまとめることができなかったのでしょうか。
日本書紀は、外国向けに書かれた日本の国史であるといいます。
国防上隠すべきところは隠したのだともされています。
隠された部分、あいまいにしている所にこそ、大切なもの、守るべきものが見えてきます。
日本書紀の三女神に関わる個所では「ある書」が三つ、本文と合わせると4つの説を展開して真実をあいまいにしているのです。
ということで早速、日本書紀に描かれた宗像三女神について見ていきます。
国を治める3人の子産み
イザナギとイザナミは多くの国を生んだ後、国を治めるものとしてオオヒルメ(アマテラス)、ツキヨミ、ヒルコ、スサノオを生みました。
3歳まで足が立たなかったヒルコは流されました。
そしてオオヒルメには高天原を、ツキヨミには日と共に天を、スサノオには海原を統治させます。
しかし、スサノオはなぜか泣いてばかりいて治まらず、父母の二神はスサノオを根の国へ追放します。
仕方なくスサノオは、根の国へ向かう前にアマテラスにお別れにやってきました。
天照大神と素戔鳴尊のうけひの内容が4種類ある⁉︎
アマテラスが、スサノオの邪心無き事をどのように証明するのかを質すと、スサノオが言いました。「お姉さんと私とでうけひ(誓約)をして、子どもを産もう。私が生んだ子が女の子ならば邪心があるとしよう。もし男の子を生んだならば私は清らかである。」(筆者注:「女の子ならば邪心がある」部分は古事記にはない)