宗像大社は三宮からなっており、三人姉妹の神が各々の宮に祀られています。
宗像三女神(むなかたさんじょしん)は別称、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ大変な尊崇を受けていますが、なぜそこまで三女神は尊敬を受けたのでしょう。
それには知られざる母と三人娘の物語が秘められていたのです。
あまり語られることのない三女神の家族にスポットライトをあてて、神宿る島を読み解いてみたいと思います。
古事記の中の三女神の正体 「十拳(とつか)の剣」と三姉妹の関係とは
まずは、712年に完成した古事記は、一説によると日本人のために編纂された本当の日本の歴史だといいます。
(『古事記の宇宙』より)その古事記に三女神はどのように描かれているのでしょうか。
国生みのものがたり
国生みの神であるイザナギが川で禊(みそぎ)をした時、三柱の貴子(きし)が生まれました。
すなわち、アマテラス、ツキヨミ、スサノオです。
しかし、スサノヲは己の運命を嘆き、泣きわめいて邪神を周りに集めて暮らします。
それを見かねた父イザナギはスサノオに根の国へ行くよう命令します。
しかたがないのでスサノオは、アマテラスの元へお別れをしにやってきました。
天照大御神と須佐之男命のうけひ
ところが、スサノオがやってくるのを見たアマテラスは「国を奪いに来たのか⁉︎」と完全防備で迎え撃つ態勢です。
国も治めず散々暴れていたスサノオですからね。
アマテラスの戦闘態勢を見て驚いたのはスサノオでした。
「私に邪心はない」とアマテラスに訴えます。
しかし、邪心がないとどうやって証明するのかと問われてしまいました。
それで「うけひをして子を産もうではないか。その結果をみて判断しよう。」という事になったのです。
まずはスサノオの持っていた十拳(とつか)の剣を三つに折ってアマテラスがかみ砕いて吐くと、現れたのが三女神でありました。
その後アマテラスの珠緒をスサノオがかみ砕き、生まれたのが五男でありました。
それで、アマテラスの持ち物から生まれた五男をアマテラスの子とし、スサノヲの持ち物から生まれた三女をスサノヲの子とすることとなったのです。
生まれた三女神の行く末
その結果、タキリヒメは宗像の沖津宮に、タキツヒメは中津宮に、イチキシマヒメは辺津宮に鎮座しました。
これが古事記にある三女神誕生の部分です。
三女神を生んだことになったスサノヲはしかし、納得がいきませんでした。
「わが心が清く明るいから、優しい女の子が生まれたのだ。我、勝てり。」といって悪行を止めません。
アマテラスの弟であるスサノオは、調子に乗りました。悪行は度を越し、ついに事故死者が出てしまいます。
スサノオの起こした事件により、アマテラスの岩戸隠れに発展していくのです。
古事記に記された三女神に関わるお話の概要は以上です。
三女神は「十拳(とつか)の剣」の申し子
古事記によると、三女神はスサノオの持っていた「十拳の剣」の申し子であった、という事がわかります。
しかし、古事記の記述の中で三女神が現在のように尊崇される理由は、今一つよくわかりません。
「十拳の剣」がいかなる剣なのかに秘密がありそうな匂いがプンプンします。
あと気になるのは、沖ノ島三宮のご祭神が異なることです。
宗像大社のHPでは、沖津宮はタゴリヒメ(タキリヒメ)でこれは同じ。
中津宮と辺津宮は逆で、中津宮にタキツヒメ、辺津宮にイチキシマヒメが鎮座しています。
こんな風に神社の社伝と古事記などの内容が違うことは、結構あるのです。
違いを丁寧にみていくことで見えてくる部分もあるかもしれません。
というわけで、今回は三女神の正体がチラッと見えました。
さて、ところで日本書紀には三女神はどのように記されているのでしょう。
次回は日本書紀に記された三女神についてを紐解くこととしましょう。