【古事記VS日本書紀】宗像三女神の“あいまいさ”に隠された意味

隠しきれない事実が見えてくるのが神社なのです。 だから神社ヲタクはやめられないんですよね。笑

アマテラスはスサノオの持っていた十拳(とつか)の剣を三つに折ってアマテラスがかみ砕いて吐くと、現れたのが三女神でありました。タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメでした。その後アマテラスの玉飾りをスサノオがかみ砕き、生まれたのが五人の男子でありました。結果は古事記と同じ、原因となったモノの持ち主がそれぞれの親となりました。ここまでが本文です。

ここである書に曰くとして三つの説があげられます。
1書① スサノオがやってくるのを知ったアマテラスは男装して武装しうけひの場に立ちます。
そして自らが持つ十拳(とつか)の剣からオキツシマヒメ、九拳(ここつか)の剣からタギツヒメ、八拳(やつか)の剣からタゴリヒメの三女神を生みました。そしてスサノオが首にかけていた玉を自ら噛んで生まれたのが五人の男子だったのです。スサノオはうけひに勝利し、邪心なしの証拠を得ました。(筆者注:オキツシマヒメとはだれか?)

1書② アマテラスがスサノオの持っていた勾玉の端を噛んで生まれたのがイチキシマヒメ、勾玉の真ん中を噛んで生まれたのがタゴリヒメ、勾玉の尾を噛んで生まれたのがタギツヒメでした。スサノオが剣の先を噛んで生まれたのが五男子でした。

1書③ アマテラス自らの十拳(とつか)の剣からオキツシマヒメ、九拳の剣からタギツヒメ、八拳の剣からタギリヒメの三女神を生みました。
スサノオ自らの玉を噛んで生まれたのが6柱の男子でした。(筆者注:オキツシマヒメとはだれか?)以上全部で4種類のお話があります。

 

三女神の出自と落ち着き先はどこ⁉︎

オキツシマヒメとは「沖ノ島の神」なのですが、タゴリヒメ(タギリヒメ)、タギツヒメ、イチキシマヒメのうち誰なのか? としたときに、名が無いイチキシマヒメであろう、と予想はできますが、ここにも混乱させる一つの要因があります。

三女神の行く末について日本書紀本文ではただ「ムナカタが祀る神」としています。
1書①では「アマテラスが筑紫に降臨させたのち天孫を助けよ」
1書②では「イチキシマヒメは沖津宮に、タゴリヒメは中津宮に、タギツヒメは辺津宮の神」
1書③では「アマテラスは三女神をウサノシマに降ろしました。北海路の途中にあり道主貴(みちぬしのむち)という」とやはり4種類の記述があります。

このように古事記、日本書紀ともに、現在の宗像大社のご祭神とは異なっています。宗像大社のご祭神は、沖津宮—タゴリヒメ、中津宮—タギツヒメ、辺津宮—イチキシマヒメなのです。

 

古事記とは異なり日本書紀が本気でめざした“あいまいさ”

古事記では「十拳(とつか)の剣」から三女神は生まれました。
日本書紀では「十拳(とつか)の剣」から、①③では「十拳(とつか)の剣」「「九拳の剣」「「八拳の剣」から、②では「八坂瓊之曲玉」からとなっています。
これほど諸説があれば、外国人ならずともたしかに混乱するでしょうね。多くの宝物が発見されている沖ノ島は今も一般人が入れない禁足地となっています。秘匿性の高い部分に関してあいまいにし、隠されたのかもしれません。

江戸時代まであまり読まれなかった古事記が、いま脚光を浴びているのは、そこに真実を見出す人が多いというのが一つの理由なのでしょう。

ここまで見ると、三女神の秘密は深く、ますます混沌に陥りそうになります。
ならば、日本人向けに書かれたという古事記だけ見ていればいいのでしょうか?

わかったことは一つ。
三女神の正体が全力で隠されている、という事です。
でもいったい、なぜ⁉︎

それを見つけたいと思ううちに、あまりにもショッキングな三女神の正体を知ることになっていくのですが……。

全国に7,000社あるといわれる宗像神社。そして、隠しきれない事実が見えてくるのが神社なのです。
だから神社ヲタクはやめられないんですよね。笑

次回は神社を通して現れてくる三女神の姿に、その正体を解き明かしたいと思います。

 

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