チベット禅の憩いと安らぎ 〜 トゥルク・イェシ・リンポチェ 〜

チベット禅の憩いと安らぎ

チベット仏教の瞑想の多くでは、神仏の姿を仔細にイメージできることが重要で、法要の儀式にも複雑な仔細や段取りがあります。
しかし、そうしたものがすべてというわけではなく、チベット仏教にも様々な修行のテクニックがあります。

チベット仏教の厳格な修行の掟に縛られることなく、お釈迦さまの境地に近づける自分なりの自己変革への道や、シンプルだが奥深い修行法を探してきた方々に私がお勧めしているのがチベット禅です。

チベットでは数千年前から在家のヨーギ(修行者)が禅の修行をしてきました。
無数の人々がシンプルな瞑想によって自分にこころのうちに棲む仏性に気づいてきました。
そうしたシンプルな瞑想がチベット禅の真髄です。

いずれも心を鎮め、癒しを導き、あなたが慈悲深い人になる役に立つ瞑想です。
前向きな見方で日々暮らしながら自分を改善していく助けとなる瞑想です。

チベット禅の瞑想では母なる自然とその元素が仏菩薩や法師の役割を果たしてくれます。
お寺に出かける必要もありません。
私たちのからだがお寺の本堂なのですから。
そして、周囲から聞こえてくる音が私たちのマントラになります。
外の自然と私たちのこころの内なる自然が私たちに恵みを授けてくれるのです。
私にとって、「禅」とはシンプルな瞑想を通して「目覚める」、または「気づくようになる」ことなのです。

チベット禅の瞑想では、まずはあなたの心を禅の世界のようにシンプルにすることが成功の秘訣となります。
しかし、瞑想イコール禅というわけではありません。
それほど単純ではないのです。

あなた自身の身口意、つまり、あなたのからだ、あなたの言葉とエネルギー、あなたの意識のすべてを禅にするのです。
それができれば、ある日、突然にすべての現象が禅であることに気づくでしょう。
それが究極の覚醒であり、解脱なのです。

 

さて、瞑想する際には完璧な静寂が好ましいとされています。

外界からクレイジーな雑音が聞こえてくると、こころの安らぎをかき乱されがちになるからです。
外界の雑音は 耳栓でシャットアウトすることもできます。
けれど、耳栓はあなたの内なる雑音までは消してくれず、あなたは耳栓をした途端に、内なる会話に気を取られてしまうことになるでしょう。