「義務」「犠牲」と「ギフト」「アディクション」との関係 PART.2

次にマクロビオティックの陰陽学と出会いました。ここでは、いくつかのものが私の元から去っていきました。陰陽のアンバランスから欲していたものが消えていきました。

アルコールは、飲みたい気持ちもなくなり、また久々にグラスに口にしただけでも、気持ち悪くなってしまい、飲めなくなってしまいました。以前はアルコールと上手にバランスよく付き合えず苦労していたのに、食事の陰陽バランスを整えただけでこんなに変化するとは思いもしませんでした。
が、他はどうかと言われたら、今度は、「マクロビオティックのルールに厳格に従わなければならない」という強迫観念で自分自身を縛ってしまい、私を更なる嗜癖へと追い込んだこともありました。

私の担当の先生は、「~でなければならない」、という言葉が多く、「それをしっかり守れば、こういう幸せが手に入る」、というような指導のなかで、私は全ての選択権を先生にゆだねてしまったという失態。それが大きな原因となり、30歳になってマクロビオティックのスクールに通うことに疑問を感じ始め、離れることを決めました。
「失敗してもいいから、自分で判断して食事を決めて行こう!」と思い始めて、徐々にマインドコントロールされていた自分に目覚め、そしてもっと冷静に世の中が見つめられるように徐々に変化していきました。

そしてヨガセラピー養成講座に通い始め、更にその概念を打ち砕くことに成功しました。
ただ、一度大きな失敗したおかげで、ヨガセラピーで教えていることを全て鵜呑みにすることはなくなり、この情報は偏りすぎだから、私には必要ないからスルー、という判断を持てるようになった際に、一つ気づくことができました。

ヨガセラピーでも利他をとても重要視しておりました。
沢山の本を読み漁ってきたので、やっぱりここにたどりつくのか。
でも人にそうしている人を横でみて、私もそうしてみて、全然幸せじゃないんですけど、きれいごとはもううんざりだ。
と、感じられた時に、冷静に奉仕とはなんなのかということを考えるようになりました。

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