ココロセラピストが語る!?「それは本当に自分の気持ちなのだろうか。自分の意見なのだろうか」を問い直してみよう。~他人をコントロールできる人がふんぞり返っている~

気持ち

映画の解説や、考察動画が好きだ。

僕は映画が好きだ。これは幾度となく言ってきた。映画を観たら「あーでもない、こーでもない」と語り合うのも大好きだ。今は、ネットがあるので、わかりづらかった箇所を解説してくれているページや考察の動画などもたくさんあってとてもありがたい。

DVDや動画配信見放題できるものなら別だが、そうではないものは、好きな時に好きなだけ観られるわけではないので復習しづらい。だから、僕は映画系の動画も密かに好きだったりする。それを観ることで、新たな気づきを得られることもある。そうすることで、円盤化されたときなどに、「また観よう!」と思える事も多い。

前評判について。

それはそれとして、気になることがある。それは、前評判。特に悪評だ。良い評判なら、まだ良いのだ。「そんなに面白いなら見てみようかなー」と思えるからだ。もっとも、犬が好きな人は無条件で犬が出ている映画を「よかった!」「感動した!」などと言うだろう。Dマニアも、D社が新作を出せば必ず「泣けた!」と言うだろう。かくいう僕も、アメコミ映画は大好きなので、「もう一度観たい!」とか、無意識に言っているかもしれない。

つまり、その人の属性の補正が入ってしまうのだ。それが悪いとは言っていない。自分が好きなものを好きと言えるのは良いことだ。なので、誰の意見に対して共感できるかどうかを見極める能力も必要だったりする。僕がアメコミ系映画を手放しでべた褒めしても、実は共感する必要はまったくないのだ。もちろん、共感してもらえたら嬉しいけど、それは強制じゃない。

だけどね、同じ感性を持った人の意見だったら、結構参考になったりする。笑うツボ、泣くツボ、沼るツボが同じだったら、安心して観に行ける。まぁ、属性や感性が同じでも、露骨にネタばれしている投稿や動画だと、楽しみが減ってしまうこともあるので、注意が必要だが。

一方、悪評の前評判については、ちょっと考えてしまう。もちろん、映画は高額な娯楽なので、あからさまにつまらなければ損した気分になってしまう。だから、なので、無駄な投資をしないためにも悪評の事前情報もある意味大事なのかもしれない。

だが、先に上映された国の評判(悪評)で誘導されてしまうのは、ちょっと悲しい気がする。もしかしたら、国によって価値観が異なるかもしれない。これは映画に限ったことではない。日本では人気でも海外では、そうでもなかったり、また逆もある。悪評をあからさまに広められてしまうと、もしかしたら楽しい作品なのかもしれないが、観る気を奪われてしまった、その作品に触れるチャンスを失ってしまうかもしれない。

公開して、本当に人気がなかったら、上映期間や回数が減らされても仕方がないと思う。だが、最初から「人気ないらしいから、観ない方が良いよ」と連発されてしまうと、最初から客足が悪くなりそうな気がする。とはいえ、本当に面白ければ、上映館が増えたり、回数が増えて逆転できる可能性はあるので、何とも言えない面も確かにある。ただ、映画に関して言えば、結局は実際に自分で見てみないと面白いのか、つまらないのかわからないところがある。あらすじは知っていても、映画そのものの中身は誰もわからないのだから。

愚痴に聞こえてしまうかもしれないが、個人的に楽しみにしていた映画が観る前に悪評だらけで、上映回数が少なかったり、小さな部屋しかなかったり、レイトが一回しかなかったりすると悲しくなってしまう。それでも、無事に見れれば嬉しいといえば嬉しいが。

その映画が面白そうかどうか、観たいかどうかはできれば自分で決めたい。自分の感情や期待、素直な気持ちで選びたい。僕はギャンブルは好きではないけれど、宝くじも買わなきゃ絶対に当たらない。映画の当たりはずれも賭けるしかない。僕はなんとなく、そう思っている。

映画に限った話じゃない。

僕は映画が好きだから映画を例に出したが、実は世の中は情報合戦だ。情報を作れる。情報をいち早く得られる。情報をコントロールできる人にとっては生きやすい世界だ。と、急に話がぶっ飛んだが、何を言いたいかというと、自分の思考、感情、行動は、本当に自分のものなのだろうかと言うことだ。

潜在意識は案外周囲、あるいは他者の影響を受けやすい。人は必ず誰かの、何かの影響を大きく受けている。別に、それそのものが悪いわけではない。良い影響を与えてくれる時代、国、文化、政治観、教育観、倫理観だったら、ウェルカムだ。だが、それらが良いかどうかを、まずは自分自身で感じたり、考えたりする習慣を身につけられたら良いと思う。

そして、自分にとっての最適解をその都度導き出してほしいのだ。僕が「アメコミは良いよ!」と言ったからって無理して観る必要はない。僕の生き方や価値観も、度々語っているが、それを真似して欲しいとも思っていない。ただ、おそらく多くの人が、情報をコントロールして相手の思考や行動をコントロールしようと思っている。

特にビジネス系はそうだと思う。それはある意味仕方がないのかもしれない。自社の商品やサービスを売らなければ自分の生活に直結してくるのだから。必要以上に自社商品を褒めたたえて宣伝するのは当たり前だし、時には「〇〇しないと××になるよー」と不安を煽ったりもする。これらもテクニックだ。

僕もさっき映画の前情報で良い評判は、観ようという気にさせてくれるから良い的な事を書いたが、これも厳密には自己矛盾とも言える。露骨に操られている典型的なパターンと言えるかもしれない。だが、これは自分の中で観たい映画があって、更にワクワク感を引き出せたら良いなと思っているから、「僕を、もっと、その気にさせてくれ!」という気持ちが前提にある。

他者をコントロールできれば自分にとっては都合が良いかもしれない。だが、コントロールされているだけで、自分の意思がフラフラしている人って、モヤモヤしないのだろうか。「だって、みんなが、そういうから………」的な感じで自分の気持ちを最後尾に持ってきてしまうと、苦しくなったりしないのだろうか。

人生は最終的には自己決定の積み重ねで決まる。操られてしまうこと、流されてしまうことも多々あるが、後悔しないためには、できるだけ情報を自分の中で消化して、自分の心や頭を使って行動に移して欲しいと思う。






  

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