ココロセラピストが語る!? 地味な生活がやっぱり楽しいと思える~自由に動き回れるって、すばらしいね~

自由

趣味の話。

僕は映画が大好きだ。最近も『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』、『『鬼滅の刃』絆の奇跡、そして柱稽古へ』、『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』など、立て続けに見てきた。どれも、とても面白かった。趣味が偏っているような気がしないでもないが、個人的問題なので、そこはどうでもいい。映画についてマニアックな話をしたいところだが、それはまた機会があれば。興味がそそる映画が立て続けにあるのでスケジュール調整が大変ではあるが、それがまた楽しい。

劇場に行くと、人もたくさんいる。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、なんとなく、それを懐かしく感じる。それもそもはず、コロナ渦では、映画館はスカスカだった。ソーシャルディスタンスがどうという問題もあったが、そんなこと関係ないくらいに、人は少なかった。まぁ、場所や作品にもよると思うのだが。それ以前に映画そのものの本数も少なかった気がする。劇場に人が集まってしまっては困るというものもある。映画作りそのものに人を集めてしまうことも困るなど、問題はたくさんあったのだろう。

僕も、世に倣って巣ごもりというか、引きこもりというか、そういう状態が多かったが、それでも映画は好きだったので、作品を選んではこっそり観に行っていた。と、言い切ってしまうと、不謹慎だと叩かれるかもしれないが、結果的に集団と呼べるような大人数になることは少なかったので実害はなかったと思う。

今は、映画にもよるが人気作品をたくさん上映していると、駐車場が混雑してチケットを予約していようが何だろうが、車を停めるのが大変だ。これはこれでストレスなのだが、みんなが、見たい映画を堂々と観られるようになったんだなと思うととても嬉しい。きっと、作り手側も、やっと、作りたい映画を堂々と作れると思っていたことだろう。

そういう意味では僕は室内でキーボードを叩いて記事を書けば良いので、本当に恵まれていた。記事をきちんと提出できる環境が整っているって本当にありがたい。だが、これはたまたまで、たとえば、世の中に超強力なコンピューター・ウィルスが蔓延してネットの自粛を求められるようになったりしたら、今度はIT系が危機的状況に陥ると思う。「やっぱり、アナログがいちばんだよね!」なんて時代が来るかもしれない。悲観的と思われるかも入れないが、過度なIT崇拝をすると、遅かれ早かれ、これに近い、あるいは別のトラブルが起こる危険性はあるので、夢は大事だが慎重さも忘れないで欲しい。

どこにでも人がいる。

これを嬉しいと思うかどうかは人それぞれだが、人がいるとホッとする。道端に通行人がいると、それはそれで嬉しい。大げさかもしれないが、人がいるということは、人に動きがあるということで、社会が動いているということだ。

外に出ても誰もいない。いるのはガラの悪い人たちがチラホラ。こんな環境だと、なんだか寂しい気がする。みんなが、自室にこもって何不自由なく悠々自適に過ごしているなら、それはそれで良いし、なんだかんだでインドア派の僕も、そういう日が多い。だが、それはそれ、これはこれだ。

さっきは映画に限定した話をしたが、何処だって良い。僕は休日は、スーパーやショッピング・モールでウロウロするのが地味に好きだったりする。非日常的なドキドキワクワクも良いのだが、そういう当たり前っぽい地味な活動が好きだったりする。まぁ、それを履歴書の趣味の欄に書けるかというと別だが。と、いいつつ、そういう人がいるからこそ経済が回っているのだということを忘れてはいけない。

今でこそ、微妙に忙しくて(?)あまり行けていないが、僕は図書館も大好きだった。暇さえあれば通っていた時期もある。だって、無料で本が読み放題だし、借りられるのだ。なんて、ありがたいんだろう。だが、人が外に出ることに対して否定的な時代になってしまうと、そういうサービスがどんどん廃れていってしまう。とても悲しい。

なんだろう。説明が難しいのだが、図書館は本を読みに行くところだが、本を読みに来ている知らない人を見るのも、実は楽しいのだ。別に、人間観察とか、そういうことじゃなくて。「あ、自分以外にも本を読みに図書館に来てる人がいる………」という安堵感、わかるだろうか。

カフェでもファミレスでも同じことだ。込み過ぎていると確かにイヤだが、誰も飲食していない場所で貸し切り状態なのも、寂しい。別に、ナンパじゃないので、見ず知らずの人に「一緒にお茶でもしながら、お喋りしませんか?」なんて言わないけれど。ジロジロ他人を見て喜んでいるわけでも何でもなく、ただ存在してくれているだけでありがたいというか。僕の心が荒んでいるのだろうか。

スーパーなどでは、ときどき、商品を見ていると知らないおばちゃんが「これ、いいわよね!」と言ってきたりすることがあると思う。そういうのが嫌いな人は別だが、それはそれで、友達を作ろうと思って話しかけているわけでもなく、宗教勧誘しようとしているわけでもない。ほんの数秒、共感しあいたいだけだ。そういうコミュニケーションって、なにげに大事な気がする。

調子に乗ってバカ騒ぎしている若者とか、無礼講なのかなんなのか、酔っぱらって大騒ぎしているおじさんとか、そういうのは迷惑だが、そんなのはレアだ。なんて、言いつつ、最近は、そういう人たちも街でチラホラ見かけるようになったので、それはそれで懐かしいと思ったりもする。もっとも、歩きタバコだけは消滅して欲しいと心から願っているが。

インドア派な僕が言っても説得力がないかもしれないが、人って、いてくれるだけで案外ありがたい。そして温かい。もちろん、その意見を押し付ける気はない。過去にトラウマがあって人間が恐くて仕方ない人だっているだろう。なんらかの事情で外に出ずらい人だって、きっといるはずだ。だから、「外に出よう!」なんてことは言わない。

だって、僕も子供の頃、「子供は風の子、元気な子。外に出て遊ばなきゃ!」みたいな人は好きじゃなかったから。部屋で漫画を描いている方が好きだったから。だからといって、外で鬼ごっこやドッジボールばかりやっている子を迷惑だとはまったく思わない。好きなことをやれているって、良いことだよな、と素直に思っている。

自由っていいね。

ルールや秩序はある程度は必要だ。自由というのは、何をしても許されるということではない。当然責任は伴うものだ。そして、たぶん人間はある種の束縛や支配されることが好きな生き物であろうことも、実感している。

だからといって、自分から自由を捨てたいとは思わないし、思わないで欲しい。毎日が、非日常のような刺激的な毎日ではなくても、似たような毎日でも、自分の自由を最大限に利用して、その自由に感謝しつつ、QOL(人生の質)を向上させていけたらと思う。






  

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