ココロセラピストが語る!? 時代はめまぐるしく、どんどん変化している~不思議な世界は広がってゆく~

変化

時代が変わる。

21世紀になってから、急激に時代が変わった気がする。もしかしたら20世紀も、僕に実感がないだけで、急激に時代が変わっていたかもしれない。時代は、気が付けば変わっている。当たり前かもしれないが、実に不思議だなと思う。

ドラえもん。

僕の価値観の基盤は『ドラえもん』だと思っている。未来からやってきたドラえもん。四次元ポケットから次々に不思議な秘密道具を取り出す物語。子どもながらに「そんなの科学的にありえないよ」なんて、思う秘密道具もたくさんあったが、今となって考えてみると、「ありえないと言って悪かった」と思えることが多々ある気がする。

ドラえもんは『科学』の世界という設定だが、『魔法』と何が違うのか線引きが難しかった。僕は、ドラえもんのようなSF(?)も、魔法世界も大好きだ。そして、長く生きていて、なんとなくわかってきたことがある。科学も魔法も実は同じなのではないか、と。不可能だと思われるようなことも、実際に可能になることも多い。

たとえば『糸なし糸電話』という秘密道具。今の子は、糸電話そのものを知らないかもしれないが、簡単にいえば、糸でつながっていることで通話ができる電話のおもちゃだ。糸があるから、声が相手に伝わるのだが、糸がなければ相手に声はつながらない。

電話も、電話線というものがあって、さらに電話機と受話器は線でつながっていた。何の話をしているか、さっぱりわからない人もいるかもしれないが、昔はそうだったのだ。だが、今はスマホが主流になって、小学生でも普通に持っていたりする。学校などでは、だからこそ、どう対応して良いのか悩んでいるかもしれないが。

スマホは当然ながら、糸や線でつながっていない。だが、遠く離れた人に電話をすることができる。文字も画像も送れる。20世紀生まれの僕としては、信じられない。まさにドラえもんの秘密道具だ。確かにコードレス電話というものも、僕が子供の頃に普及した。線で繋がっていないのに電話ができるということに、当時もかなり驚いた。だが、携帯電話なるものが登場すると、携帯できる電話機本体そのものを持ち運べて、電話ができるようになった。本当に驚いた。

確かにトランシーバーという機会は昔からあって、線でつながっていなくても遠くの相手と会話ができたし、今でも使用されている。だが、それは、距離が近いのが前提であり、世界中とつながれるわけではないので、ちょっと違うというのが僕の考えだ。『糸なし糸電話』はマンガの世界だから、科学と言い張って魔法のようなことを当然のように描いていた。だが、それは現実になった。

ちょっと思っていたのと違うのは、『糸なし糸電話』は、通話料、通信料がかからない(?)ということだろうか。そう考えると、『糸なし糸電話』は実は電話が進化したものではなくて、トランシーバーの進化形態だったのだろうか。

魔法のような現象も証明できれば科学になる。最近の僕はそう思うようになった。実は同じようなものでも、証明されていない不思議なことは魔法。証明できたら科学なのかな、と。厳密な定義は違うかもしれないが。何を言いたいかというと、ドラえもんのような夢物語のような世界も、すべてとは言えないが、未来に近づくにつれて、どんどん現実になってくる可能性があるということだ。実に夢のある話だ。

未来人の夢。

僕は、子供の頃から、想像するというか、空想することが大好きだった。何かを思い描くという行為は実に楽しい。ただし、誰かを不幸にしないのが前提だ。さっき『糸なし糸電話』を例に挙げたが、それが現実のものになると、それらによって、時代はどう変わるのだろう。

たとえば『タケコプター』のようなものが現実のものになったら、どうなるのだろう。そらを自由に飛べるのは素晴らしいが、そうなると、今度は空が交通渋滞になってしまうかもしれない。そうなると、免許制になるのだろうか。『どこでもドア』なら交通渋滞にはならないから安心だろうか。でも、パスポートなしで海外に行けてしまうのは、それはそれで問題なのだろうか。使用範囲が制限されるのだろうか。Google Earthでさえ、プライバシーの問題があるから、なんでもかんでも見えるわけではないし。

今じゃ、タブレットで小学生が女子更衣室を盗撮するなんていう事件も起きているくらいだ。時代が進むと便利になるかもしれないが、トラブルの種もまた増えてしまうのかもしれない。「最近の子は、ネットがあるからかマセてるな」と思いきや、一方では結婚したのはいいけれど、子どもの作り方がわからないという人もいるとかなんとか。それはそれで困る。

時代はどんどん変化している。同時に多様化している。グローバル化することで、世界中とつながれるようになってきた。反面、今までの価値観では通用しないことも増えてきた。科学がどんどん発展し、グローバル化がどんどん広がると、その先には、どんな未来が待っているのだろう。僕は科学の発展も楽しみだし、世界中の人と交流できるのも楽しみだ。決して批判的に思っているわけではない。

ただ、僕の理解を越えるスピードになってきてしまった気がする。そういう意味では僕は情報弱者なのかもしれない。育児、教育の価値観も、人によってだいぶ違う気がする。時々、話題に出しているがハラスメントの価値観も、正直、複雑すぎて理解に苦しいこともある。

仕事ってなんだろう。働くって何だろう。この価値観も、今と昔と、これからではだいぶ違ってくるのではないだろうか。今じゃ、ファミレスでロボットが働いている時代だ。それはそれで昔の子どもが想い描いた夢の世界のようで楽しい。だが、ロボットに仕事を失われてしまった人はどうなるのだろう。

「最近の日本人は、労働意欲がない」「仕事はあるのに、働こうともしない」なんて、簡単に言う人もいるが、本当にそうなのだろうか。QOL(人生の質)が上がるとは思えないような仕事がたくさんあったところで、誰が働きたいと思うのだろうか。低賃金重労働で責任だけ重い。それなら、働かない方がマシと思うのは本当にいけないのだろうか。それこそ重労働はロボットに任せて欲しいと僕は思ってしまう。ロボットにできないような仕事であれば、低賃金は勘弁願いたい。

たとえば、もし、フリーエネルギーが世界中に共有されて、ロボットも格安で高性能なものを購入可能な時代になったとする。そうしたら、人間は働かなくても生きていけるようになるのだろうか。「趣味、仕事」と笑って言える時代になるのだろうか。

どんな秘密道具が誕生したら、僕たちのQOLは向上するのだろう。僕たちの心身が豊かになるためには、何が必要なんだろう。それは、もしかしたら、道具ではないのかもしれない。価値観かもしれない。まずは、そんなことを語り合える場、があったら良いのかな。




  

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