ココロセラピストが語る!『ゆっくりのんびり生きたい』とは?~そういえば、寝る時間が勿体ないとか言ってたような……~

のんびり

堅苦しいヤツ。

最近、というより、ここ数年、僕は自分を語ることが増えてきました。言葉も徐々に砕けてきて、今じゃ、ほぼ口語。

以前は「TATSUMIさんの文章は固い」とか「難しすぎる」とか言われていた時期もありました。そんなつもりはないんですけど、当時の僕はきっと、そういうキャラだったんでしょう。

今も変わってないのは「心身が病まないように暮らせる社会を作りたい」という気持ち。だけど、今になって考えると、過去の自分はいささか固かった気がしないでもない。

たぶん、ものすごく一生懸命物事を考えていたんだろうな。たぶん、こんなふうにエッセイ風に語ると、説得力に欠けるとか思っていたのかもしれない。

また、当時はノウハウ・コレクターが多かったので話の内容よりもノウハウやハウツーが重要視されて、書き手の人格なんてどうでも良いと思われてるんだろうな、という思い込みもあったのかもしれない。もしくは、思い込みではなく、そういう時代が本当にあったのかもしれない。

 

〇〇すべき症候群、名付けてベッキー。

同時に自分の中で「〇〇すべき」という呪いにかかっていた気もする。僕自身、「べき」にとらわれている人を『ベッキー』と呼んでいたし、今も呼んでいるわけで。きっと僕は、重度のベッキーだったのだろうと思う。なんとか、自分の思いを一人でも多くの人に伝えていかなきゃ。そのためには、〇〇すべきだよね、的な思想にとりつかれていたんだと思います。

ちなみに、何度も繰り返していますが、僕は自分の主張こそが真理だとは思っていないし、あなたが、僕の話に少しでも何かを感じてくれたり、興味を持ってくれたり、何かを考えるきっかけになってくれれば、それで良いと思っています。必ずしもファンになる必要はなくて。それも本心なんです。とりつかれていた割に。

 

僕の願い。

僕一人の頭、意見よりも、みんなに何らかの良いきっかけを投げかけられた方が、何億倍も僕の理想に近づけますものね。僕がイメージした結果と違っても、みんなが本気で自分自身に向き合ってくれたり、こういう社会で暮らしたいよねって思って行動に移してくれたら、それがきっと正解だと思うし。だからね、考えることや、感じることを忘れないで欲しい……っていうのは、これからも言い続けたいと思っています。

もちろん僕自身、無責任にならないように、責任転嫁しないように、常に成長したいし、良い情報があればシェアしたいし、良いきっかけがあれば提供したいと思っています。

 

堅苦しいヤツが個人的に願っていたこと。

僕は確かに堅苦しくて、とっつきにくいヤツだったと思います。ベッキーだったと思うし。ただ、突っ走ってきたけど、途中途中で、ものすごく疲れちゃってどうしていいかわからなくなった時期も多かったのもまた事実。それに関して言えば、厳密には今も、かな。

体力も無尽蔵にあるわけじゃないし、忙しすぎると、これも何度も言ってるけど「心を亡くす」のでQOL(人生の質)が低下するんですよね。なので、「休みたい」「ゆっくりしたい」「のんびりしたい」って思って早期リタイアしたくなる。のんびりできなくて、貧困生活確定とかなら早期リタイアなんてしたくないけど。

 

寝ないで生きる?

「時間は自分で作れ!」が僕のモットーではあるけれど、気が付くと疲れ果てた自分がいて。でも、なんだかんだで集中していたり目的を達成できていたとするならば、きっと、それには価値があるわけで。たぶん不本意なタスクが無限に降り注いでき続けるとアイデンティティが崩壊するんだろうなって思うんですね。

ただ、楽しくても、集中しまくっていても、疲れがまったく無いっていうのはなくて。ぐったりするんですね。そのあとで、気が済むまでリフレッシュ休暇が取れるなら別だけど。

そういえば、子供の頃から大学生頃までは「寝る時間が勿体ない。その時間を有効に使えば、もっと楽しめるのに!」なんて思っていた気がします。実際、大学生の頃は、夜遊びしまくっていました。コロナとか無縁だったし。でもまぁ、偉そうなことを言いつつ、しっかり寝てましたけどね。

とにかく本当の意味での、のんびりできる時間を手に入れることが個人的な望みだったというか、望みなんです。経済的な不安や健康的な不安、その他もろもろの不安から解放されて、安心してゴロゴロできる時間。そんなんじゃ生産性が落ちるとか怒られそうですけど、決して怠けて生きるのが理想ってことじゃないですからね。

人が病むのって、不安が原因なことって多いじゃないですか。不安って、そもそも防衛本能で人間に不安がまったくなかったら危機管理も何もなくて既に滅んでると思うけど。

ただ、何かに不安になりすぎたり、怯えすぎたりせずにイキイキと働いたり、遊んだり、優雅にゴロゴロできたり、そういうことができる社会を作れたら良いなって僕は思ってて。可能であれば、ここは共感して欲しいポイントでもあります。無理強いはしないけど。

 

ペースダウンもまた風流。

現代人って『生き急ぐ』人が多いんですよね、やっぱり。競争原理の国は、のんびりしていたら置いてきぼりにされて、明日の食事にありつけなくなるかもっていう焦りがあるんでしょうね。僕も、そういう気持ちって少なからず持ってます。

なんだけど、これを「年を取ったから」とイコールで考えて良いかわからないけど、突っ走るだけが人生じゃないよねって心から思うんですね。生活が余裕綽々だからそんなこと言えるってことじゃなくて。誰もがね。やむを得ない事情の時はある程度仕方がないかもしれないけど。

ここ数年は特に、安眠したい願望が強いです。起きる時間も何も考えず、ひたすら寝る。寝たら時間が勿体ないって思う時期があってもいいけど、眠れる幸せを噛みしめられるっていうのもまた幸せなんですよね、これがまた。

 

結局ノウハウが枯渇しただけ?

結局僕は思考速度や情報処理速度が落ちて、ノウハウもなくなってきたからエッセイ風に語っているだけなんだろうか、なんて自問自答した時期もあります。我ながら捻くれてますね。

でも、ふと、気づいたんですよ。自分の知識や語ってきたことが、自分の人生という体験を通して腑に落ちていくというか。そうするとね、ペースダウンしたように見えても、結果的に質の高い優雅な人生を歩める、歩めてるんじゃないのかなって思えるようになってきたわけで。

別にスーパーバイザーになりたいわけじゃないし、威張りたいわけじゃないけど、僕の考えを知りたいという人がいれば、語るし、役に立てるなら役に立ちたいです。

偉そうなことばかり言っていますが、出しゃばらず、地味に、自分をいたわりながら、のんびりと世界平和を考えて、小さく動き続けられたら楽しいのかなって思っています。

シメるところをバシッとシメてれば、24時間戦わなくても、いいんですよ。

 

 

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