ココロセラピストが語る! 『日常のふとしたきっかけから自分を見つめなおす話』とは? ~人生の軌道修正のチャンスは毎日ある~

主人公

モービウス

『モービウス』という映画を観ました。いわゆるアメコミ映画です。僕がスーパーヒーローものが大好きなのは公言していますが、モービウスは自分の中でもちょっと異色に感じています。

まず主人公がカッコいい系のスーパーヒーローではありません。ダメ男が少しずつカッコよくなっていく話でもありません。
主人公はどちらかといえば怖いです。というか、ヴァンパイアです。血を欲しがります。一般的には倒される側のキャラクターだと思います。

熱く語りたいところなのですがネタばれしてしまうといけないので自粛します。
が、僕が興味を持ったポイントはお話しします。

・ある意味自己実現したが、だからこそ手放しでハッピーとは限らない。
・仲間って素晴らしいけど、仲間って無条件でいつまでも仲間とは限らない。
・自分の信念のためにはイヤでも誰かと戦わなければならない。
・主人公だけど、たぶん人気者にはなれない。

アメコミ系ヒーロー映画というだけで、ほぼ無条件で食いついてしまう僕ですが、結局のところ、物語ってフィクションであろうとも人間的な何かを感じさせてくれる作品が面白いなって思います。

ふとした瞬間に、それが自分自身の人生を見つめなおすきっかけになることって多いと思うんですよね。

今回は映画の話をしたけれど、そういうことだけじゃなくて身近ないろいろな場面にそういうターニングポイントってあると思います。

 

ある意味自己実現したが、だからこそ手放しでハッピーとは限らない。

主人公のモービウスは天才なお医者さんです。
自分や友人の病気を治すために薬を開発します。
でも、それを使うとヴァンパイアになってしまうのです。

これ、怖いですよね。自己実現の代償。
無条件で痛みも苦痛も悩みもなく自己実現できるって、たぶんそんなにないんじゃないかなって僕は思ってます。

こういうテーマの時は必ず考えることがあります。
映画の話じゃなくて。どういう事をかんがえるかっていうと、その夢や理想、目標、つまりゴール設定が本当に『HAPPY-HAPPY』(世間でいうところの『WIN-WIN』をもっと深堀りした言い回し)かということです。

自己実現をすることは可能でも、最終的に自分や大切な仲間、周囲の人間にとってもハッピーかどうか。自分だけ得をしても、悲しむ誰かはいないだろうかということ。

何かを得るためには何かを失う覚悟は必要かもしれません。
それでも、それは得たいものなのだろうか、ということは、ちゃんと考えようねということです。

 

仲間って素晴らしいけど、仲間って無条件でいつまでも仲間とは限らない。

人間は孤独では生きられません。
誰かと関りながら生きていかなければなりません。
でも、みんながみんな友達になれるわけではありません。
「仲間っていいよね」とは思います。
仲間は人生にとってかけがえのないものだと思います。

でも、仲間といっても、それは利害が一致している間だけの仲間というのが殆どだと思います。何があっても信じてくれて、何があっても助けてくれる。逆に、何があっても信じてあげたくて、何があっても守ってあげたいと思える相手っていますか。そんなにいないのが現実ではないでしょうか。

だからといって卑屈にはならないで欲しいし、意気投合した仲間ではなくても『思いやり』の心を持って接して生きていけたらと思いますし、思って欲しいです。

時にはやむを得ず誰かを犠牲にしなければならない時もあるかもしれません。でも、それが日常茶飯事では困ります。誰かを思いやることなく生きていたらQOLはどんどん低くなっていくことでしょう。

たとえばですが、社員は偉くて、バイトは使い捨ての駒。こんな発想の人って今でも少なからずいると思うんですよ。社長は神で社員は奴隷、でもいいですが。

当然求めるものは人によって違います。でも、誰かを自分の踏み台にしようとしたり、都合よく利用しようとしたりということを笑顔でできるようになってしまうと、おそらく生きていて辛いです。

ビジネスライクや営業スマイルも大事です。でも、良い人そうに他人を利用する人間にはなりたくないし、なって欲しくないです。
友達のフリをして怪しい自己啓発セミナーやマルチに勧誘するとか。

多くの人は本音で語り合える仲間を欲していると思います。
でも、本音を話すと、そこを狙われ、利用され、弱みを握られたりする危険性も多いのです。

信頼関係の基本は信頼関係の構築です。
でも、良い人そうにニコニコしていても、実は相手を自分の支配下に誘導するための罠だった、ということがあまりにも多い世界に僕たちは生きている。だからこそ安っぽい仲間意識や友達意識には警戒も必要です。

仲間は本当に宝です。だからこそ、偽物の宝を掴まされないように気を付けてください。そして、警戒も大事ですが人間不信になることなく、洞察力を見抜いてください。直感を鍛えてください。そして、自分自身も誠実であり続けてください。

 

自分の信念のためにはイヤでも誰かと戦わなければならない。

信念というのは結局はエゴに過ぎないのかもしれません。
でも信念を貫き通すにはほぼ必ず何らかの痛みを伴います。

たとえば高校受験。志望校を設定するにも勉強するのも良いことです。でも、自分が合格すると、誰かが不合格になるんです。志望校が同じだと、友達が一気に敵になってしまうんです。まぁ、恨みっこなしでお互いに全力で戦おうって思えたら清々しいですが。

大人になると、今度は自分の立場を守ったり、良くしたりするために誰かの足をわざと引っ張ったり、姑息な手を使ったりする人も増えてきます。マウントを取りたがる人も同様です。

自分は誠実でありたくても、相手がそういう輩だった場合、本当に悲しい気持ちになります。自分の信念を貫くためとはいえ、サイコパスにはならないで欲しいです。お互いにそうならないように意識しましょう。

 

主人公だけど、たぶん人気者にはなれない。

人生という舞台の主人公は自分自身です。でも、それは決して華やかな主人公とは限りません。みんなに憧れられる主人公はスーパーヒーローだったり、プリンセスだったりするかもしれません。

でも、みんながスーパーヒーローだったり、プリンセスだったりするわけではありません。キャストが全員そうだったら、物語は面白くありません。

主人公だからといって必ずなにか一芸に優れているというわけでもありません。多くの人に共感されるとも限りません。

そんな条件下で、如何にして自分のQOLを向上させていくか。これが、人生という名の舞台で主人公が演じる役割だと僕は思っています。人間的に如何に成長できるか。これがテーマです。

結末は誰にもわかりません。もしかしたらバッドエンドもあるのかもしれません。しかし、人生はいくらでも軌道修正できると僕は信じています。そして、そのきっかけも、至る所にあると思っています。

みんなに共感されてチヤホヤされる主人公ではなかったとしても、自分史上「これはしあわせな人生だった!」と思える結末は、最後まで持ち続けて自分というキャラクターを演じてください。

僕はそんなあなたを、そっとサポートするモブでありたいです。応援しています。

 

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