ココロセラピストが語る!?  超絶幸せ幻想 ~ 熱く、激しく、はじける人生……だけが幸せではないんだ~

幸せ

幸せってさ、超絶美形の異性にモテまくって、超絶いろんな人にチヤホヤされて、超絶お金持ちになって、毎日が刺激的で、楽しくて、飽きなくて……ってことじゃないんだよね。
そういうときがあっても嬉しいけど、別にそれが永遠に続かなくたっていいじゃん、って話。

 

幸せって地味なものなんじゃないかな

人生が楽しいかどうか。
幸せかどうかって最後には自分が決めることなんだよね。
まあ、生まれた時代背景や環境、その他もろもろの要因があって、どう考えたって幸せとは思えない場合だってあるよ。
親と上司は選べないとか、そういう問題もあるしね。

ちなみに、不幸って何かって考えると、なかなか面白いですよ。
たくさん思い付くけど、僕が特にこれだって強調したいのは「希望が消えて、絶望しかなくなったとき」。

たとえばね、今、ものすごく辛くて、生きているのが嫌でもね、少しでも希望を持っていて、明日の自分が笑顔でいられる可能性を信じていられれば、大変ではあるかもしれないけど、本当に不幸ではないと思うのね。
少なくとも、そう思っていられる間は。

絶望しかないっていうのは未来を否定してるってことでしょ。
そうすると、本格的につらいんだよね。
人って未来に向かって生きてるから。
今日よりも良い明日になることを誰だって望んでるでしょ。

ほんの少しでも希望を持ち続けられる人っていうのは、今日より良い明日が来るのを前提に今この瞬間を生きてるから、投げやりなことをしないんだよね。
ちょっとでも明日の幸せにつながる思考や言動を意識するでしょ。
これが大事なんですよ。

超絶幸せ……じゃないけど、明日につながる幸せなんだよね。
いいじゃん、それで。

いちいち「学歴がないから幸せじゃない」とか「美貌がないから幸せじゃない」とか、不幸の条件付けをしなくていいんですよ。そういう人って、仮にその条件が満たせても、また別の不幸の条件見つけて勝手に不幸になるんだから。

そんなの意味ないじゃん。

 

「ありがとう」がなぜ大切なのか?

大人も子供も「ありがとう」って言えない人、多いんですよ。
恥ずかしくて言えないとか、そういうことじゃなくて、感謝の気持ちがないっていうか、感謝という概念がない人って残念ながらいるの。

人間ってね、社会性の動物なんですよ。
人と人との協力、善意が交差して、社会を作り上げてるの。
その結果、個人レベルに落とし込んで幸せになれるの。

感謝されなくても善行を続ける人もいるよ。
立派だと思う。
でも、感謝されると、自分の善意が大なり小なり認められたっていうか、純粋にうれしいでしょ。

幸せ

「ありがとう!」って言えるってことは、良いことをしてもらったから言えるってこと。
つまり、幸せなことなの。幸せ感謝してるんだよ。

感謝の気持ちがない人は、幸せをわかってない人ともいえるんだよね。
本当は幸せなのに気づけてないって悲しいよね。

たとえば同僚が、「これ食べる?」ってお煎餅を一枚くれたとするでしょ。
その程度じゃ感謝できないって思う人って、たぶん幸せになれない。

だって、「あー……って無表情で受け取られたら、くれた人、悲しい気持ちになるでしょ。
そういう状態が繰り返されると本当に相手にされなくなると思うのね。

義理かもしれないけど、少なくとも、自分という存在を気にかけてくれてるからお煎餅をくれてるんだよね。これ、幸せでしょ。

「ありがとう!」っていうたびに、それだけ自分が幸せであることに気づけてるの。
これって、すごいことなんだよ。
周囲を観察してみると良いですよ。
不幸そうな人って、「ありがとう!」って言ってないし、言われてもいないから。

嫌なことがあっても、すべての人間を敵と決めつけないで。
自分の善意を無駄だと思わないで。そして感謝を忘れないで。

そこさえ押さえておけば、幸せ度は地味に、かもしれないけどアップするから。

 

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