人生がつまらない?
人生は無条件でおもしろい! なんて思っている人は、そんなにいないと思います。
情報過多な時代で、何を信じていいかもわからず、右往左往しながらストレスをため心身を摩耗していく。
そんな人、多いのではないでしょうか。
僕の人生は、楽しいのか。
そう自問自答してみると、「それなりに、はい」と言える。
人気取りが目的なら大物ぶって、「滅茶苦茶楽しい!」って答えていたかもしれない。
もしかすると、過去にテンションが高かったときは、そんな風に言っていたかもしれない。
でも、今、冷静かつ客観的に自分を見つめなおすと「それなりに、はい」なんです。
超絶幸せ幻想
「それなりに、楽しい人生」というと中途半端に思えるかもしれません。
でも、僕は、ですけど、そのくらいがちょうどいいと思っているんですね。
なんでかっていうと、いつもアドレナリン全開で、「うっほほーい!」って興奮しまくっていたら、燃え尽きるのが早いから。
アドレナリン全開で「うっほほーい!」とはじけまくる時があるのは、悪いことじゃないし、時には良いと思うんですよ。
ただ、それって、「そういうときも、時には必要だよね」程度でいいんです。
だってさ、それって、常に快感の状態でいなきゃならないってことで、それってある意味、躁状態でしょ。ヤバいじゃん。
たぶん、いつだってフルパワー、いつだって超絶ハッピーみたいなのって、消費社会の負の遺産なんじゃないかって僕は思ってて。
案外多いんじゃないかな。『超絶幸せ幻想』にはまっている人たち。
何が言いたいかっていうと、自分のパワーを程よく振り分けて、「ま、こんなもんだよね……」って思える程度でも、幸せを感じられるし、それなり楽しいって話。
つらい、つまらないって日があっても、イコール不幸ってわけじゃないでしょ。
すっごく、嫌なことがあった日に、偶然、立ち寄ったカフェにすっごく美味しいケーキがあったら、嬉しいでしょ。
幸せの絶頂とはいえなくても、嫌なことは消えなくても、ちゃんと楽しいし、幸せな瞬間や、満足感って得られるんだよね。
最近の人はあまり言わないかもしれないけど、日本人って「細く長く生きる」美学みたいなものがあるでしょ。
年越しそば食べるよね。無駄に細く長く生きても仕方ないって思うかもしれないけど、そうじゃないんだよね。
あれって、超絶楽しいスーパーハイテンションな状態じゃなくたって、小さな地味な幸せをちゃんと感じ取れて、かみしめられて、そのことに感謝出来て、それでいて、長くそれが続けられるって素敵だよねって話で。
もちろん、「太く、長く生きる」という価値観も良いと思うけどね。
その辺は個人差あると思うけど。
僕も、そっち派だったけど、なんとなく、そこまで刺激的じゃなくてもいいし、自分の気力や体力も自覚してくると、そういうこだわりってなくなってきたんですよね。