ココロセラピストが語る!『教育』とは? ~僕たちはドコに向かって進んでいるのだろう?~

教育

教育って一体……。

子供の頃は、勉強というのは学校の勉強のことだと思っていました。
ある程度、学校の勉強ができると、人生が楽になると思っていました。

もっとも僕は勉強が大の苦手で、どちらかと言えば劣等生なので学校の勉強ができると本当に人生が楽になるかどうかは未だにわかりません。

とりあえず、勉強ができるという証明は学歴として残りますよね。
就職する時、履歴書を出さなくて良い会社って、たぶんあまりないので、そういう意味では学歴があると就職は楽になると思います。
未だに、学歴を選考基準のメインに持って来ている会社も多いですからね。

というわけで、「勉強=学校の勉強」なのかと思っていると、実際はそうではないわけです。
「人生勉強」あるいは「社会勉強」という大事な勉強もあるのです。

「人生、死ぬまで勉強だ」なんて言いますが、これって学校の勉強を指すわけではないですよね。
死ぬまで数学の問題を短時間で答えられるように勉強するとか、そんな単純な話ではありません。

なんだかとても難しいです。
教育が大事なのはわかるのですが、教育って何なのでしょう。

 

教育とは?

ここで僕なりに教育について思うことをお話しようと思います。
教育という感じは「教える」と「育てる」の二つの漢字でできています。

これ、ものすごく重要だと思うのです。
この漢字の意味をちゃんと考えないと、方向性が違うものになってしまうからです。

僕が以前から特に気にしているのが、日本の教育って—海外の事は知らないので何とも言えませんが—「教」が強くて「育」が弱い気がします。

たとえば、知識量を増やすことは確かに大事です。
でも、頭の中にいろいろな情報を詰め込んで、試験に出るコトを覚えておけばそれが教育なのかというと、たぶん違うのです。

僕は決して知識なんて実はそんなに重要ではないのではないかと言っているわけではありません。
先ほども言いましたが、とても重要だと思っています。

でも、知識って持ってるだけじゃダメだと思うのです。
持っている知識を状況に応じて使いこなせる柔軟な頭を育てることも、もっと意識した方が良いのではないかと思うのです。

教育

勉強だけの話ではなく、学校生活全般もそうです。
「学校は社会の縮図」と言われています。

これも、確かにその通りなのですが勘違いしないで欲しいです。

学校のルールを守ることが人生の規範ではないということ。
学校文化で問題無く行き抜ければQOL(生活の質)が高くなるのかというと決してそうではないということ。

僕は決して学校教育そのものを批判しているわけではありません。
むしろ、学校教育の認識をもっと深く考えてみると、教育って何なのかが見えてくるのではないかと思うのです。

たとえば、勉強やスポーツが完璧というなら、それはそれでカッコ良いです。
でも、それだけでQOLが上がって人生が楽で豊かになるかというと、決してそうではありません。

「苦手分野があったって構わないんだ……。それは人生の汚点ではないんだ……」と、知ることも、実は大事な教育だと僕は思うのです。

だって完璧主義な人って自滅するじゃないですか。
対人関係にしてもそうですよね。
優柔不断や無責任は論外ですが、完璧主義者と関わると、めんどくさいし、疲れませんか。完璧じゃなくて良いのです。

今の学校がどういう定義で教育を語っているのか詳しくわからないので恐縮ではありますが、「完璧じゃなくても良いんだ…」「欠点があっても良いんだ……」と自分自身を受け入れて、それでも前に着き進めるメンタルを育てるのも大事な教育だと思うのです。気合と根性だけではなく。

校則を守らせるのも、社会常識を植えつけることも大事かもしれません。
でも、目くじら立てて徹底指導しなければならないほど重要かどうかという問題も、時々再検討してみると、違う方向性で物事が考えられるようになるのかなと思うのです。

教育

「昔はこれが正しかったけど、今の時代では、こっちが正しいとされている」ということだってありますよね。

たとえば「男女七歳にして席を同じゅうせず」などという概念、昔はそれが当たり前でも、今だと謎すぎるわけです。

「手洗いうがいをしましょう」という当たり前っぽく思えることも、最近では「うがいは必ずしも重要じゃないかもしれない」という説も出てきています。
世の中、わからないことだらけなのです。

習ったことが正解とは限らない。
疑うこと、時には反抗することも大事だということを教えてあげることも大事なのかもしれません。
だって自分より権威のある人や年齢の上の人が必ずしも正しいことを言っているとは限らないのですから。

何が言いたいかというと、僕が思う教育というのは、如何なる環境でも、自分自身を見失うことなく、学んだ知識や経験を活かし、あるいは創造力を膨らませ、より良い人生を歩む週間を見につけさせることだと思うのです。

何かを教えてあげる。
そして、それを温かく見守ってあげる。
人生そのものがリスクみたいなモノなのだから、危険を回避することも大事ですが、もっと自由にたくさん、いろいろ失敗して次の時代を作っていける人たちが増えると、未来はもっと面白くなるんじゃないかな、なんて思う今日この頃です。

 

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