ココロセラピストが語る! 人と違う生き方を選択する ~人と同じ生き方って、そもそもナニ?~

ガングロ? ガンダムの仲間?

僕たち日本人は、「みんな同じ」を美学と思っています。
今ではもう完全にネタですが、以前、ガングロというものが流行りました。

ガンダムのような名前ですが、まったく違いますし関係ありません。

若い女の子たちが何故か知らないけれど、みんな顔を真っ黒にして、ヘンテコリンなメイクをしていた時代があるのです。

僕は男性なのでちょっと理解に苦しかったのですが、当時の女の子たちは、それを「カワイイ」と思っていたようです。
「キモカワイイ」(※気持ち悪いけど可愛い)ではないようです。

正直、当時の女の子たちは余計な事をしない方がキレイな肌を持っているのにわざわざ人工的に肌を日焼けさせて黒くしていました。
髪形もボサボサにしていた気がします。

ガングロ女子を今更分析する気はないのですが、何を言いたいかというと、流行ると、みんな、それを基準にマネしなければならないのだろうな、ということです。

もちろん主観の問題ですので、ガングロを「カワイイ」と本気で思っていた人もいると思いますし、それが必ずしも悪いとは思いません。もしも自分に娘がいたら思い止まるように説得を試みるかもしれませんが……。
でも、最終的な決断を下すのは本人です。

ただ、本当は「カワイイ」と思っていないのに、周囲に自分を合わせてしまったという人も、潜在的には結構多いのかな、なんて思います。

 

みんな同じって一体……?

今更学校教育を批判しても仕方がないのですが、学校って『同質人間製造工場』的な空気がありますよね。
偏差値の高い子は別格の扱いを受けるかもしれませんが、それ以外の子は、平均的な同質な人間をゴール設定しているというか。
そこまで先生たちが考えているかどうかはもちろん知りませんし、そうではない教育方針をしっかりし持った学校もたくさんあると思います。
だから、全部の学校が同質とは言っていませんのでご了承願います。

『マズローの五段階の欲求』の中に「所属と愛の欲求」というものがあります。
それを考えると、人間は仲間意識を重要視しているということですし、だったら空気を読んで周囲に合わせておいた方が無難なのかなという気持ちになってくるのも理解できます。

でも、それって幸せなのかな、楽しいのかな、と僕は思ってしまうのです。
人間が何らかの集団に加わりたいのはわかりますが、所属そのものが人生の質を向上させるのではない気がするのです。

「私は(平均的な?)仲間たちと同じように日々暮らしているから大丈夫」的発想って、なんだか悲しい気がしませんか。

確かに社会というのは言うなれば集団です。
でも、僕たちは同じ人間ではあるけれど、一人一人がかけがえのない個性を持った人間なのです。

そもそも「みんな同じ」って変なのです。

みんなが幸せ。
みんなが元気。
みんなが平和。

こういう誰もが目指す共通項はあって良いと思います。
でも、幸せも、元気も、平和も、厳密にいえば、人によって解釈が大きく違いますし、それで良いのです。
というか、それが当たり前なのです。