ココロセラピストが語る!『バカにされたから何だというのだ。人格否定されたからなんだというのだ。~ひたすら自分を成長させ続けるのみ~』

僕たちは常に誰かと比較されている

人は常に誰かの影響を受け続けています。
影響といっても、いろいろありますが、特に僕たちは『他人の目』『他人からの評価』をものすごく気にします。

学校で言えばテストで平均点を取れなければダメな子、平均点なら普通の子、それ以上なら優秀な子という図式があります。

運動で言うなら50m走のタイムもそうですよね。
身長もそうです。
平均身長より低ければチビ。
平均的なら普通。
それ以上なら大きな子。

特に男性は一般的に身長の高い子がモテますし、心理学的にも得られる収入が多いと言われているみたいです。

別に、それらは優劣をつけるのが目的ではないのかもしれません。
他人と比較することで自分自身というキャラクターやアイデンティティが客観的に理解できるというだけの意味合いなのかもしれません。

そういうモノサシを誰が何のために作ったかは別として、大事なのは僕たちがそれを自分の価値だと思い込まないことです。

「誰かと比較したら自分は○○みたいだな。それはそれとして参考程度に留めて、その上で自分自身をどう成長させていこうかな?」という認識をすることをお勧めします。
そうすれば、自分を誰かと比較して凹むこともなく、自滅することもなくなります。

 

それでも世界は自分や他人を比較して見下したがる

自分を客観的に知って、その上で自分自身をどう成長させるかが大事だという話をしました。
しかし、現実は差別社会です。
差別主義者がたくさんいます。

家柄だってそう。
経済力だってそう。
どこの会社に勤めているかもそう。
何処に住んでいて、どんな家に住んでいるかもそう。
特に男性は、ものすごく、そういう誰かとの比較で評価されます。
異性には特にそういう目でふるいにかけられます。

女性は女性で若さや美貌が未だに重要視されます。
胸の大きさや、腰のくびれを勝手に誰かと比較されて優劣をつけられます。
もちろん、美しいに越したことはありませんが、それがその人の人間としての価値なのかと問われると僕は断固として違うと思うのです。

もちろん差別ではなく「好み」だと言われれば、言い返すことはできません。
たとえば「私、お金持ちの男性が好きなの」というのが決して悪いことではないからです。
ただ「お金=男の価値」ではないのです。
同様に「胸の大きさ=女の価値」でもないのです。

誰かと比較して優れている点は素直に誇って良いと思います。
ただ、それは付加価値に過ぎず、その人の本質的な価値とはあまり関係がないのだということを決して忘れてはならないのです。

 

差別は今後もなくならないのか?

正直時言うとこれからもしばらくの間、差別は無くならないと思います。
常に誰かが何処かで、誰かと誰かを比較して優劣をつけて行くと思います。

ちなみに僕は「比較するな」とは言っていません。
「比較と差別の同一視」を止めた方が良いと言っているのです。

でも、やめた方が良いといっても簡単に比較をして差別する時代は続くと思います。
ただ、だからこそ考えて欲しいことが二つあります。

ひとつは「比較を通して他人の人格を否定しない」ということ。
人間が人間らしく生きていられるのは自己肯定感が安定しているからです。
だから安易に、些細なことで人格否定につなげてしまうと、一気に生きていて楽しくなくなってしまうのです。
生きるエネルギーがガリガリと削られてしまうのです。

人間は、自分を少しでも優位に見せるために誰かを低く見る癖があります。
それはそれで本能的なものだと思うので受け入れて良いと思います。
ただ、だからといって人格を否定してはいけないのです。

「私の方が、顔面偏差値が高いわ! あの子の人生はもう終わってるわね……」というようなことです。
顔面偏差値の高低と人生の質(QOL)は必ずしもイコールではありません。
幸福度だってイコールではありません。

そもそも、無意識であれ「あの子の人生はもう終わってるわね……」という根拠が足りなすぎます。
しかも大きなお世話です。

このセリフはたとえ話で実話ではありません。
でも、そんなふうに人間って誰かを差別しているのです。
大きなお世話極まりない話ですよね。
他人の人生の質を勝手に決めつけないで欲しいですよね。
人格や存在を否定しないで欲しいですよね。

だから、お願いです。
あなたは絶対に加害者にはならないでください。
悪意はなくても、人は知らず知らずにこれに近いことをしているものです。
でも、気をつければ防げます。
他の誰が何と言おうともあなたは誰かの人格や存在を安易に否定しないで下さい。

ふたつめは「自分で誰かと比較して勝手に自滅しないで下さい」ということです。
誰かに酷いことを言われたとか、人格否定されたとかであれば、心がグサリと傷ついて破滅の道に意識が向かってしまうのはわからないでもありません。
しかし、誰に何かを言われたわけでもないのに、想像だけで、自分でネガティヴなモノサシを作りだしてしまって「やっぱり私はダメ子なんだ……」というレッテルを貼らないで下さい。
何の評価に対してあなたが自分の価値を測っているかはわかりません。
でも、自分自身の存在を安易に下卑ししたり否定したりしないでください。
手首を切らなくたって、オーバードーズをしなくたって、これだって僕い言わせれば立派な自傷行為です。

人間ですから誰だって自分に自信がなくなることだってあります。
凹むことだってあります。
気が弱くなれば些細なきっかけで自分を小さく思ってしまうことだってあると思います。
でも、それは一過性の誤作動であり、本当はあなたは小さな人間ではなく、尊い存在なのです。
絶対にそれは忘れないで下さい。

誰かの価値を勝手に決めつけたり、否定したりせず、自分自身を悲観的に評価するのではなく、自分をいっそう輝かせるにはどうしたら良いか。
みんなそれぞれの個性を輝かせるにはどうしたら良いか。
そういう意識を持つ事が大切だと僕は思うのです。

 

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