ココロセラピストが考える! スピリチュアルを信じている人は本当に怪しいのか?

少し脱線します。
昔は「漫画ばっかり読んでいると頭が悪くなる」と言われていた時代もありました。

でも、今や日本は漫画大国です。
漫画家は憧れの職業です。
漫画を読まないようにという見えないレールに子供たちを載せてしまうと、漫画家は生まれにくくなるのです。

そう考えると、高校生がジャンプを読んでいたってまったく変ではないのです。
漫画の描き方を義務教育でやりなさいということではなくて、漫画という世界を否定しないことが大切なのです。

という話をすると僕がコテコテのスピリチュアル系みたいに思われてしまうかもしれませんが、実はそうでもありません。

不思議な概念が大好きな僕ではありましたが、やっぱり誰も教えてくれないのでスピリチュアルやサイキックは半信半疑ではありました。

でも、可能性というのは可能性を否定した時点で消えてしまうものだということを僕たちは忘れてはいけないと思うのです。もちろん「ない」という可能性も含めて。

かつて錬金術から化学が生まれたように、微妙に違っても何かしらの進歩や発展につながる可能性だって多分に残されていると思うのです。

 

相手が嫌がる事をするから怪しまれるのでは?

少なくとも僕たちは地球人ですので、地球での生き方というものがきっとあって、別の次元の別の生命体(?)あるいは存在の生き方(?)のみをフォーカスしてしまうのも、それはそれで危険なのかなという気もします。

たとえば人生がイヤになって「私は来世に転生して、今度こそ幸せになります! 現世よさようなら。私、死にます!」という人たちが出てくるとそれはそれで危険です。

宇宙人がいるとかいないとかいう話題も楽しいです。
ただ「○○は良い宇宙人で、××は悪い宇宙人」というのを言い切ってしまうのも危険なのではないかと思ったりもします。

何度も言いましたが、僕は可能性を大事にした方が良いと思います。
ただし同時に思い込みを絶対的なモノだと妄信しない方が良いと思っています。

極端に走り過ぎると、どうなるかといえば、たとえば宗教戦争が良い例ですよね。
みんな、自分の信じる神様がいるわけです。いないかもしれませんが。
どちらでも良いのですが、だからといって、自分の神様の正当性を証明するために戦争する必要って本当にあるのかなって思いますよね。

スピリチュアル系が嫌がられるのは証明できないからというだけではなくて、妄信しすぎていたり、自分の流派(or先生)を崇拝しすぎてしまうことなのではないかと思います。
そうすると結果的に意見や価値観の押しつけになってしまいますし、正直迷惑なのです。

僕は何を信じても良いと思いますし、可能性は大事にした方が良いと思います。
でも、みんながみんな同じ価値観ではないということも覚えておいて欲しいのです。
お互いを尊重し合わなければ、それが原因で不要な争いに発展してしまうのです。

セミナー勧誘とか、誰だってイヤですよね。押し売りみたいで。
前世に興味がなくても構わないし、パワーストーンもマントラも、必要ない人には必要ないのです。
スプーン曲げができようとできなかろうと、それも個人の自由なのです。

医学だって心理学だって、怪しいと言えば怪しいのです。
僕は医学も心理学も好きですが、スピリチュアルやサイキックと同じで、好きだけど妄信はしていないのです。
よりよいアイディアが浮かべば、その可能性を改めて検討すれば良い。
これが僕の本音なのです。

僕自身の日々の発言だって、極論を言えば無責任なのです。
ただ、自分自身も含めて、信じたければ信じれば良いし、信じなくたってまったく構わないのです。

ただマナーとして、あからさまに嫌がる人に自分の意見を押し付けたりしなければ、いろいろな価値観や世界観が共存できるのではないかなと僕は思っているのです。

 

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