ココロセラピストが考える! そんなこと無いと思うけど!「最近の若者は欲がないなぁ……」ってホント?

モノでも人でも、末永く関係を深めていけたらステキだと思いませんか。

バブルというのは泡のことです。はじけたら終わりです。
そう考えると、それは一種の幻想なのです。
ならば、はじけない範囲の欲とバランスよく共存するというのは決して悪いことではないのです。

今は努力と結果は必ずしも比例しません。
お金の話で言うなら、まず仕事がありませんよね。
選ばなければありますが、選ばないからブラックに入ってしまったり過労死したりするのです。
努力しただけ給料が増えるとか出世するということもありません。
場合によっては、頑張れば頑張るほど、仕事量は増えますが給料はそのまま。最悪減る場合だってあり得るのです。

そんな状況なのに「ブランドバッグが喉から手が出るほど欲しい」! と思うかというと、たぶん思わないですよね。
それこそ生存欲求が優先なので「休みが欲しい……」とか、違った欲求が出てくるのです。

欲はあるのです。

ブランドバッグが休みに代わっただけです。
これを無欲とか元気がないとかいうのは筋違いなのです。

同僚と飲んで帰るのが楽しい世代は「飲みたい!」「騒ぎたい!」という欲求があるのでしょう。
居酒屋に行きたくなってももちろん構いません。
でも、「家に帰りたい!」というのは欲求では無くて非社交的扱いされるのは何故でしょう。
だって帰りたいと思える家があるのですよ。こんなに素晴らしい事が他にあるでしょうか。
家に帰って、ゴロゴロするなり家族と過ごすなり所身に没頭するなり、それこそ贅沢ではありませんか。
「ひとりの時間が欲しい!」だって立派な欲です。

常に誰かの顔色を伺ってストレスがたまる現代社会で、ひとりの時間を得るというのはとても価値のある事なのです。
寝ていようが瞑想していようが個人の自由です。

これこそ贅沢なのです。

植えつけられた欲望ではなく、自分の心の声に従った純粋な欲望に絞って生活した方が精神的にも気楽な気がします。
そもそも何故欲望を植えつけられなければならないのでしょうか。
それこそマインドコントロールみたいで気持ち悪いですよね。

車に興味の無い人に「車はステータスだよ」と言って頑張って車を持つ事がカッコイイと思い込ませる必要ってないと思うのです。
僕は田舎に住んでいるので車は必需品です。
「車なんかなくても……」といえる環境の人ではありません。
でも、僕は運転が大の苦手で好きではありません。
だから、どんなに高級車のカッコよさを語られても「へぇ……」で終わりなのです。
今の車に心から感謝しています。快適です。
「カッコイイ車が出たから買い変えよう!」と思う必要がないのです。
「みんなカッコイイ車乗ってるし、僕もカッコイイ車に乗らないといけないのかな……」というような強迫観念は欲ではありませんよね。
良いじゃないですか。自分なりの車観で。

「周囲に振り回されず自分らしく暮らしたい!」という欲求こそ、本来の欲求ではないかと僕は思えてならないのです。

昔の言葉で「嫁と畳は新しい方がいい」というものがありました。
これって、どう思いますかという話なのです。
相性抜群で末永く一緒にいられた方が幸せではありませんか。
相性がものすごく悪い夫婦が無理に離婚せずに耐えているとかだったら話は別ですよ。

モノでも人でも、末永く関係を深めていけたらステキだと思いませんか。
誤解された『ダンジャリ』観が未だに強く根付いて捨てる美学みたいなものがあります。
でも、自分がいとも簡単に捨てられる側の存在だったらと思ったらゾッとしませんか。

自分が本当に必要なモノを見極め、大切にしていく。
たまの浪費は良いけれど、節度をわきまえる。
植えつけられた欲望ではなく自分の心の声の望む方向に少しでも向かって行けるように工夫する。
それって僕にはとっても大事な『欲』なのです。

 

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