ココロセラピストが語る! 何故『ぼっち』は悪く解釈されるのか?

簡単なことではないかもしれませんが、『ぼっち』は『孤独』と解釈しないでください。今、たまたま一人の状況なのだと解釈して下さい。今、『ぼっち』でも、明日は誰かと仲良くつるむことだって不可能ではないのです。

人生に妥協はつきものかもしれません。学校は遊ぶところではないのだから、辛い事があっても仕方の無い事。それを乗り切る知力や行動力を高め、社会に出た時に自滅しないようにするために学校は存在するんだよと思いう人がいるなら、なおさらです。

もし、学校に行く事でイジメられるのが確定していたらどうでしょう。生きるために不登校と言う選択をしたのならそれは不正解なのでしょうか。いいえ、違います。彼らは集団から抜け出す事で別の可能性を探すと言う事を学んだのです。それで十分です。少なくとも、学校の環境が変わらない限りは、それ以上は有害とも言えるでしょう。心身が病んで行くだけです。

大事なのはその先です。一般大衆(世間)と違った人生を選択したら、新たなる可能性もありますが、理解してくれる人や応援してくれる人は著しく減ります。そこで自滅してしまったら意味がありません。

なので『ぼっち』という状況になった時は、周囲ではなく自分自身をきちんと見つめ直す必要があります。自分が本当に望むモノは何か。どんな自分になりたいのか。そのためには何をすれば良いのか。それを知る事が大切です。

何らかのショックで『ぼっち』になってしまったら感情も乱れていますし、直ぐに冷静になる事は難しいと思います。しかし、未来はまだ終わっていないと言う事は絶対に忘れてはいけません。
しかし、自分を見失わない限り、多数派と違った生き方をしても幸せになる可能性は無限にあるのです。

簡単なことではないかもしれませんが、『ぼっち』は『孤独』と解釈しないでください。今、たまたま一人の状況なのだと解釈して下さい。
今、『ぼっち』でも、明日は誰かと仲良くつるむことだって不可能ではないのです。

学校が信頼できなくても、家族が理解してくれるなら『不登校』であっても『孤独』ではありません。家族が理解してくれなくても友達が理解してくれれば孤独ではありません。
家族や理解が無くても、カウンセラーがいます。
望めば何処かにきっと誰かがいるのです。

 

星の王子さま

『ぼっち』という生き方は孤独な生き方ではないのです。サン・テグジュペリの『星の王子さま』という作品があります。主人公の王子は、まさに『ぼっち』です。
彼は決してチームを組んで冒険しているわけではありません。ずっと誰かと一緒に行動しているわけでもありません。

彼は『ぼっち』ですが『孤独』ではないのです。
距離があっても想いを寄せるバラがいます。離れていてもキツネと友達です。飛行士もかけがえの無い存在です。
彼は自ら『ぼっち』という生き方を選択したのです。

『ぼっち』は悪いモノではありません。でも良いモノでもありません。
『ぼっち』という選択肢がある。それだけなのです。

『ぼっち』が否定的な存在だとするのなら、人は何処かに属していなければいけないと思い込んでいる人たちや、自身を自虐する『ぼっち』がマイナスの付加価値をつけているのです。
しかも、『ぼっち』は万年一人というわけではありません。
状況に応じて使い分ければ良いのです。

 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》