百済王族の千年王国。天孫降臨の地の奥にあるものとは!?
百済王伝説・小丸川の郷物語のサイト(風土工学研究所より転載)
http://www.npo-fuudo.or.jp/omarugawa/omarugawa.html
みなさんこんにちわ~! 久々に連載が再開されて、キャラクターも男の子風にイメチェンして今日も元気なともくんです!
いつもほんとうにありがとう。以前のキャラクターもそれなりに濃ゆかった気がする……笑(一応自覚していた子)
宮崎のほんとうの神話と歴史の最大の謎を追いかけてゆく「ともくん宮崎からの手紙―!」もパート2に突入しました。
今回ご紹介したい内容は、日向百済王族渡来伝説。
ともくんファミリーの氏神である百済の皇子福智王が高鍋町に漂着し、大年神社に祀られていることから、大年尊こと男の太陽神アマテルの存在をそこから感じ取った一行。
う~んここはなにかある。眠っている神霊が、今にも目覚めるかのような感覚を肌で感じてしまったのでした。
そして福智王のお父さんが、百済王、貞家王(ていかおう)。
息子が父に毎年逢いに行く師走祭りは福智王の比木神社から一行が出発し、父貞家王のいる神門神社まで神社関係者の一行は歩いていく大規模なイベントです。
その名前がまたなんとも衝撃だった。そう、ミカドって。
前回でもご紹介した神門(みかど)神社へ……。
宮崎県は南郷町へともくん一行はいってみました。
「みかどって…………ミカド……帝…………もしかしたらその響きは、まるで天皇、スメラミコト…………じゃないか」
古代の日本の天皇は、すめらみことなどとよばれ、ミカドとも呼ばれたといいます。
もちろん様々な説があるしその名前だけで判断することはできないけれど、日本のご先祖様である天皇家は、百済からやってきたのでは? という説さえある点からかんがみても、非常に興味深いテーマだなとおもったのでした。
ミカドという文字に見る天皇のルーツ
その直観は、他の先生や一般人の方々の意見でも同じようなものがありました。
「このミカドというキーワードは、まさに歴史から神話への移り変わりが深い霧に包まれているように見受けられ、日本の歴史に与える衝撃は相当のものだと思われる」
とか、youtubeでも、なんか「百済の王が天皇みかどとなって祭られてる?」という方の動画まであった……汗
一般の方が見ても、やはりそう思うのだな……と僕も驚きでした。
そしてやってきた百済の里。神門神社。
ここには奈良の正倉院と同じモデルの「西の正倉院」があって、宮内庁が特別許可して建設されたといういわれがあるのです。
正倉院の方と同じ鏡があるからなんだそう。ふ~ん。
もちろんこのことはとてもデリケートな問題なので、なかなかあんなでした、とかこうでした、とかはいいにくい。
歴史と神話の謎はおっていけばいくほどに、より深い謎に包まれていくものだと僕も思っています。
その一方で、もしも仮に一つの説ということで考察するとして、ここに祀られていた貞家王は果たして誰に相当する人物だったのだろうか?
そのヒントは一緒に祀られていた人物から察することができたのでした。
それはホンダワケこと、応神天皇。貞家王と応神天皇は一緒に存在し祀られていたのでした。
日本の真相を知るという筋の情報でメジャーとなりつつある説は、応神天皇は日向から東遷したという「神武天皇のこと」である。というはなしでした。
天皇は欠史8代といって、初代から8代あたりまでの人物は、おそらく存在しなかったであろうといわれています。
——前編 その2へ続く——
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(トップ画像は正倉院)