アマテル外伝 ~もうひとつの日輪神話~ PART.2邪馬台国の群像と真相 後編

尾張古図という有名な所には古代尾張国の姿がありましたが、それは驚くべきもので 中央にぽか んと島だけがあって、ほかは全部海なのです。

ただでさえ疑り深い性格ですので、適当はいけません。なんども何度も、こたえが出ても何度も笑 のめりこんだらさがるをしないストイックな性格ねちっこく調べては確かめる日々。神様だって「こいつの執念には負けた」と冗談のように根を上げたのではないでしょうか。

「自分ははたして何をやっているのだろうか?」と自分が滑稽になったこともありました。でも、その分判明したこともおおかったのです。

とにかくある種の厳重な霊視・研究とノイローゼになるほど調べぬいた結果分かったことがありました。

驚くべきこと が、僕が託宣されることの多くが、数十年前から先に証拠を出していないと、つじつまがどうしてもあわない

霊視の内容と同一になることがほとんどだったのです。そして脳内で考えていないことや言語を夢や霊感で教えられ、調べるとやはり完璧に当たっている。

すぐ今日明日潜在意識で作り出したものではありません。

そうだとしたら確実に異なる答えが明示されるだろう、というところでお告げや回答があたえられてきた。

もし僕がかりにウソを言っていようものなら、僕がとんでもない目にあの世であうでしょう。

霊的な力に救われて、生きる目的を見出した僕が、そんなまちがいのことをする心理には到底なれません。

 

邪馬台国は最初は尾張国の浮島に存在したが後期に丹波国以降の大和朝廷になった。

邪馬台国の場所はどこにあったのだろうか。それが、ひとつはっきりわかりました。

それは、超古代の初期邪馬台国については愛知県(尾張国)の”中の島”という孤島の今現在では場所で言うなら中嶋(本家)海部(分家)の人々です。彼らはのちの京都に移り住んだ鴨氏に外戚した人々です。

その浮島に本来超古代よりやってきた日下の系統を知る人々。これらはいまの中嶋・海部家ではありません。

早い段階で歴史より消されており、一般社会の中に聖地や神話のベース地に眠るように、彼らは王族の墓地周辺でひっそりと 隠居していたのでした。

日下族が報じた神が男神アマテル。

そして旧・中島家はそれを封印する役を命じられ、泣く泣く天背男命(岩戸にまつわるタヂカラオの別名であり、天孫降臨に最後まで反抗したアマツミカボシと同一神ともいわれる)の子孫を名乗った。

その支流である海部氏はアマテルの別名である天火明命の子孫を名乗り、のちの尾張氏とともに、丹波国と尾張国を統一したのです。

ホルスのような鳥信仰をしていた鴨族だった中嶋・海部・尾張らのアマテル系の初期の岩戸開きに関連する人々は書類上なかったことにされるようにして、表舞台から姿を消し、一族の一部は朝廷に協力する 安倍晴明に代表される陰陽道の担い手になりました。

それらの秘密などは長野の戸隠、神様のパワーは白山(美濃~菊理姫の聖地)に封印されました。

そして表向きには古来の聖地のことはすべて畿内、丹波地方にうつりました。

ブロックごとに分割すると、美濃が菊理姫、尾張が瀬織津姫系(竹生島弁天、松浦佐用姫)の封印がされていると見ることもできるといえるでしょう。

海部氏として一族が丹波の冠島に拠点を置いて、最古の神アマテルと瀬織津姫の原型が封印されて天火明とイチキシマヒメ(サヨリヒメ)という夫婦として冠島にやってきたことを降臨として語り継いだ、ということがわかったのです。

イチキシマヒメはサヨリヒメという別名もありますが、宗像大社の三女神の、最初は中津宮に降臨した神として

いまでこそ辺津宮にいますが、古書には中島(なかつみや)の中津島姫である。と書いてあるのです。

邪馬台国は古来、倭奴国という福岡周辺にあっただろうという九州王朝の地続きではないかという説がありますが

漢倭奴国王の金印を授かった彼らの子孫が親魏倭王金印の伝説である卑弥呼であるのです。

福岡には宗像大社がありますが、最近は世界遺産に登録されて、そこにも神の意思を感じます。

しかしそこも整備されたのは邪馬台国以降の年代。奥の院沖ノ島はいって見聞きしたことは、言っては ならないおいわずさまなのだそうです。

サヨリヒメ、弁財天のモデルは福岡ではなく佐賀県松浦国の佐用姫なのです。

日下部氏の祖であるともいう人間佐用姫が古書に存在する中津島姫のモデルと言っても過言ではないでしょう。

京都のちょうど中央にある、松尾大社に中津島姫がいますが、それもあきらかに中央とされた神を

京都、帝都州域にオオヤマクイという夫神を添えることで、固定した。ということが言えます。

卑弥呼は古来の海部氏であり、島信仰の女王だったわけです。

尾張古図という有名な所には古代尾張国の姿がありましたが、それは驚くべきもので中央にぽかんと島だけがあって、ほかは全部海なのです。

え~これ、全部海じゃん! とおもうようなかんじ。

でも、700年代ごろのそれが島だったようで現地の家伝を知る人には、往古海部氏はこの島を本拠地にしていたのが丹波に左遷されることになったことを知る人々もかくれて存在しているのです。

もちろんいまでこそ尾張国と丹波国に分散している状況ですが両方の土地で長い間地を支配していたのです。

次回はその、邪馬台国を運営していた日下族の歴史がにわかに残る聖地と最古の太陽神とその周辺の謎に迫っていきたいと思います。

次回のヒントは「富士は晴れたり日本ばれに 込められた超文明の過去」……!

古来太陽信仰をしていた日下族と、富士の暗号。

その秘密をお楽しみに!

 

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