アマテル外伝 ~もうひとつの日輪神話~ PART.2邪馬台国の群像と真相 後編

尾張古図という有名な所には古代尾張国の姿がありましたが、それは驚くべきもので 中央にぽか んと島だけがあって、ほかは全部海なのです。

邪馬台国族の血統は日下族こと海部・尾張氏。

邪馬台国の王族であった人々は、いまでは尾張族と呼ばれた人々でした。

海部氏として卑弥呼の名が乗っているのではないか? と近年家系図などに注目が集まっているといいますが海部氏は直系の卑弥呼の子孫です。

その本質は、古来太陽崇拝をしていた一族でありのちに(くさか)日下族、日の下を運営する太陽族とよばれた人々でした。

皇室が起こったのちには彼らは部民として、王族とは正反対に最も卑しい奴隷階級になったり、家来として隼人になり日下部・日置などという名称が与えられます。

日下部氏は浦島太 郎や松浦の佐用姫などとして各地に歴史を残していますが、それとはまた別にそのモデルとなった姓名を持たなかった人々、古来邪馬台国を築き上げてきた男神であるアマテルを祀っている集団だったのです。

日向三代の神話でも、日下部氏の先祖から生まれた三皇子が、①皇室の祖山幸彦

②隼人の祖海幸彦 ③尾張族の祖火明命 となって、すべて根源は児湯郡の日下部古来ルーツを一つにする旧・太陽族にゆかりを持つのです。

日向建国神話の背景にあった饒速日と瀬織津姫の消された夫婦。

本来世紀に天孫降臨をしていたとされるニニギノミコトも、実はさがしてみると驚くことに、衝撃の事実が判明したのです。

日向の二宮こと総社の妻コノハナサクヤヒメは元来日向津姫、日向大明神と言って宮崎県の裏を代表する総社の神だったのです。

正式名称を祖の上流にある速川にいる瀬織津姫といいました。

速川は僕の住まいの近くにあるので、しょっちゅう行っているんです。

体を清めたり、霊力のすべての源と言ってもいいでしょう。最も信頼する聖地だと思っています。

何か苦しいことがあると 、言って洗浄を依頼するのです笑 すると真っ白い霊気が来て脳内からスコーン! とします。

これはそうだいなコインランドリーや…………とおもうけど、誰彼でもいけないような厳しさが張り付めているので

軽い感覚ではいけない、人を選びかねないスポットかもしれない…………という畏怖も感じます。

学生さんなどには勉学の御加護ということで言っている人が多いといいますが、僕もたまたまここに行ってからむさぼるように多くの地方紙を分析して謎が解けた日が続いていたような気がします。これもご加護かもしれません。笑

日向では公的には最も社格の高い一宮になる都農神社には、国譲りに敗れて眠る大国主が眠っています。

この大国主は本来は、出雲大社の神ではなく数百年も前の最初に、この都農神社を軸として公式のお墓に神武天皇よりもはるか昔に日本を運営していた皇子だったといわれる饒速日としてねむっていたというのです。

つまり、ここが出雲大社の本体。

出雲大社は相当に後世の出来事だったのです。

それも、往古は饒速日として眠っていた。こここそが事実上の墓である、としてみてもおかしくはないのです。

そして最古の夫婦神は瓊瓊杵尊とコノハナサクヤ姫ではなく饒速日と瀬織津姫だったことを強烈に示唆する事実がわかっています。

ほんとうに饒速日と瀬織津姫が古代の夫婦だったのではないか? と言われた伝説やおはなし、いろいろな物語は伝わっています。

そのことを真剣に研究する人々が著作を残し熱心に研究に取り組んでいらっしゃることは日本の真実が、そろそろ本格的に解き明かされようとしている証拠である。ということだと思います。

僕も中途半端な研究や調査ではいけないので、西都原考古博物館の館長であり権威ある教授である日高博士の論文や研究成果邪馬台国研究の多くの方々の意見を参考にして、僕の人生で与えられた啓示や事実交渉を経て、真実をとにかく強くさがしていったのでした。

数年間、本連載にもあるように「スピリチュアル 宮崎の旅」を続けたり、多くの研究と論証、土地調査と現地の人々に徹底的に聞き込みました。

それだけではわからないことは、霊能力で幽体離脱して土地の過去を探るという霊能者にしか起こり得ない離れ業もやったりした笑

より不明な部分は、夢で託宣を得ようとしたり、おみくじがごとく土地の神様に聞いて、古式の託宣をもらって知ったこともあります。

ほんとうに、僕が自分で言っているだけでは確証がありません。多くの方に届けるものなので責任が出ます。

中途半端ではない方法で知ろうとしたのです。また、託宣も間違いのものに邪魔されぬよう、神社州域の審神者もしました。

霊統が違うと、かなり違う結果が出ることもあるのです。霊能者って、土地の神様に与えられて霊力が出ます。