宗像三女神の周囲には大蛇のお話がまとわりつきます。
長女タギリヒメにも面白い伝承が残されています。
輪島キリコ祭りとよばれる輪島大祭の縁起
輪島の沖50㎞地点に浮かぶ舳倉島(へぐらじま)に奥津比咩神社が鎮座します。
ご祭神はタギリヒメです。
能登大祭の由緒の伝えにはこうあります。
柱松明を炎上させる輪島大祭のご神事は、重蔵神社の男神に逢うために、海を渡御し浜にやってくる舳倉島の女神である蛇へ男神の場所を教えるための炎なのだ、と
そして重蔵神社社伝には、神代の昔、舳倉島の女神が蛇の姿になり、暗い夜に輪島の浜に上陸したとき急に産気づき、重蔵神社(じゅうぞう(へぐら、とも)じんじゃ)の仮屋でお産をしたと伝わるのです。
舳倉島の女神とはタギリヒメ。
そして重蔵神社の男神とはオオナムチ。
二人はここで逢瀬を重ね、子を生み落としたのです。
こうしてみてみると三女神とも「大蛇」と関係があることになります。
民話にもよく語られるように、竜蛇が親の遺伝であるとするならば、母、もしくは父は大蛇という事になります。
宗像三女神に関する疑問を解くホツマツタヱ
古事記でも日本書紀でも三女神の父はスサノオとなっています。
しかし、どうにも腑に落ちないところたくさんあります。
何かを隠しているのかも? というのが率直な感想です。
古事記・日本書紀に書かれていない“空白”を、風土記やホツマツタヱ、神社社伝や民話や祭りの伝承が埋めてくれるかもしれません。
「宗像三女神の実母は誰なのか」は神話のベール向こう側に隠れています。
「宗像三女神の出生の秘密が全力で隠されている」臭いがプンプンします。
「宗像三女神がこれほど日本に祀られる理由は?」よくわからないのです。
「宗像三女神にまとわりつく大蛇の伝承」の意味がさっぱりです。
「父とされるスサノオはその後どんな動きをしているか」がまったく不明です。
以上のような疑問を解くカギが、記紀以外の伝承に遺されていることがあります。
宗像三女神の実母は誰なのか
宗像三女神が生まれたのは、宮津の眞井だと推定されます。
宗像三女神の母は「天照大御神」か? 否です。ホツマツタヱの中でアマテラスは男神で、12人のお妃を娶っていました。
アマテラスの12后のうちのモチコとハヤコの姉妹の父はネの越国・サホコ(新潟~山陰)を治めていたクラキネと言います。
それで姉のモチコは父の管轄地である宮津の眞井でアマテラスの第一皇子ホヒを出産します。
床神酒を飲んでハヤコを召し、夢に十拳剱が三つに折れて宝(御田)となるを見たときに生まれたのが三女神だったのです。
宗像三女神の母とスサノオの出会いは宮津
モチコ・ハヤコは、眞井にある豊受大神の祭祀のため実家に近い宮津に仕えておりました。
そんなある日夫アマテラスの弟で、かの有名な暴れん坊のスサノオが宮津へ参詣にやってきました。