逆に、まだ前世の記憶を持っていたら、あの世でまたやり直すだけです。
さらに言うなら、生まれる際には人生計画をしてから来るのが普通なので、幼くして亡くなることは最初から予定されていて、それが実行される分には何の問題もありません。
こんな風に考えていくと「じゃあ水子の霊って何?」と疑問が出てきます。
ある霊能者は、「水子の霊」と呼ばれるものは確かに存在するけれど、亡くなった胎児の意識が入った霊は見たことがないと言っています。
実は、水子の霊を作り出すのは、親の潜在意識に残る罪悪感や、世間の集合無意識なのです。
そうした思いが悪い気を呼んできて、まるで赤ん坊がずっと抱きついているような感覚を生み出すのです。
堕胎された赤ん坊が水子として祟ることがないのなら、望まれない妊娠の場合、それは堕ろした方が良いのでしょうか?
この答えはそれぞれの人がどのような状況で、どういう思いで中絶するかによって変わってきます。
永遠の生命を意識するかしないかで
中絶というのは長い間、絶対悪と考えられてきました。
しかし、ある女性霊は、そちら側に中絶したことのある霊がいるかどうか、いるなら現在どのような状態か、という質問にこう答えています。
「はい、います。でも地球上と違い、この世界ではそういったことはもはや重要な話題ではありません。
地球で妊娠中絶に対して沸き上がった罪悪感というものは、ここではもはや何の役割も果たさないのです。
私達は文字どおり何100万年もの年齢を重ねて永遠に生き続ける者であり、堕胎された胎児にとっては、通常、母親の子宮にいた時間はほんのつかの間に過ぎないということを覚えておいて欲しいのです。
中絶の手術に要する時間はわずか数分で、痛みを感じるのはほんの一瞬だけです。
中絶された胎児にとって、この苦痛の時間の記憶は夢の暗部のようにはかないものです。
誰も、魂の命を絶えさせることはできません。
それでも、母親は自分がしたことに強い罪悪感を抱き、その罪の意識は彼女を一生苦しめることになるかもしれません。
しかし中絶に至る状況はそれぞれの女性の場合によって異なります。
タイムストリーム(彼女が指揮している、この世との通信ステーション)のメンバーで過去に中絶を行ったことのある女性は、決して低い志からその道を選んだのではありません。
つまり彼女達には、自分の過去における経験を償ったりまたそれを繰り返すというカルマ的な責任はないのです。
低俗で利己的な理由による決定と、他にどうしようもなかった場合または緊急事態による決定との間には大きな違いがあります。
もし個人(あるいはカップル)がただ自分に都合の良いように、または人生における責任を回避するためだけに中絶を決意した場合には、高次の霊的存在がその個人の霊的運命について、他の決断を下す場合もあります。
彼らは罰を受けたり裁かれたりすることがないとはいえ、自分が避けたことを繰り返して償わなければならなくなり、その償いは時にはまったく違った形で現れる場合もあり得ます」
彼女の回答は、永遠の生命と霊的真理に照らし合わせたときに、中絶という行為がどんな意味を持つかを、明確に示してくれています。ただ、最後の方に関して少し説明が必要かもしれません。
彼女は、安易に中絶を選んだ場合、また別の人生で同じような状況に何度でも陥るかもしれないことを言っているのです。
亡き友人が抱きかかえていた子供の話から、かなり違う方面に話が飛んでしまいましたが、この記事で言いたかったことを簡潔にまとめましょう。
流産した子、中絶した子、死産した子、幼くして病死した子。
彼らは皆、向こう側で大切に育てられています。
もしこれを読んでいる方で、過去に実際にお子さんを失った方々がいたら、彼らが向こう側で元気に過ごしていること、ただそれだけを祈ってください。
そして、彼らを失ったことに対する様々な他の念は、手放してください。
最後に、夢に出てきた友人が亡くなった際、追悼のために作った曲を紹介させてください。
彼は今でもギターを一生懸命弾いているのかどうか、それを聞く前に夢は終わってしまいました…。
哀歌(亡き友へ)
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