狼語り……ただの『カタリベ』にあらず。日本史の過去へアクセス!
ふうっと狼の姿が銀色に鈍く光を帯びる。
百聞は一見に如かずと判断したのだ。
祠に集う眷族たちの意識の中に、音を奏で、踊りながら行進する200名はいそうなヤマトの軍勢の姿がグラウによって映し出された。皆の魂の五感を1900年前の過去にアクセスさせたのだ。先頭の50名程は派手な衣装からして軍隊というよりも楽隊か芸能集団のようにみえる。続く150名余りは普通な……いや、戦闘装備の男だけではなく女性も含む、さまざまな年頃のバラバラな身なりの人たちだ。それを迎い入れるでもなく迎え討つでもなく警戒して住居の中んから覗き見ているのは、斜めの屋根だけで出来たような住居に住むこの土地の先住者の人々だ。
突然イリュージョンかアイドルグループのショーのようなモノが先頭を行進してきた男達によって始められる。戦士として身体能力の高い者達の踊りは飛んだり回転したり楽しく面白い。最初は警戒していた先住者は、いつしか子供、女、若い男、そして年長者の順で住居から出て共に踊る。
最後に先住者の長老らしき存在が厳つい従者に付き従われ、踊る侵入者達の前へ出る。
それに答えるように踊りの列から20代半ばの優しい眼差しの青年が歩み出ると、それぞれ通訳のような人を介して言葉を交わし、ほどなく両者は宴の用意をはじめる。その青年が日本武尊と後の世に記された人物だ。青年の側にはよく似たもう一人の青年がいる。
彼らは双子なのだ。
彼等の言葉でアナン(雲)とラアム(雷)と呼ばれている。本当の名なのか、正体を隠しての仮の名なのかはわからない。誰もヤマトタケルとは呼ばない、兄弟も自身をヤマトタケルとは名乗らない。でも二人ともヤマトタケルだ。『神の民の尊い役目』それがヤマトタケルの響きの意味なのだと、行軍する人々は認識している。古事記などに残る英雄譚は両者の活躍が一人の皇子の生涯として伝えられたままが色々脚色されて記された。
全てとは行かずとも、ほとんどが血と血で争う侵略ではなかった。先ず大地の精霊に足音と踊りの響きで挨拶し、土地に踏み入る許しを得る。たいていは今のような光景でその土地の人々と親睦を結び、しばらく滞在する。軍勢の中で、今居る集落に残りたい者は残す。残った者達はヤマトの文化や技術の恩恵をこの地にもたらす。人数が減った分は、ヤマトの行軍に加わりたい住民を迎え入れ、次の地へ向かう。新しく仲間になった者は次への道を案内し通訳もする。
ヤマトはかつて平定を拒む東の人々の土地に《血族が争う呪い》と《水難の呪い》を放った。何もしなくても先住者たちが先住者同士で争い滅ぶように。天災で弱体化するように。双子の皇子は東征してゆくうちにそれに気づいた。野蛮な敵と教えられた東国の民は、自分たちと同じ『家族や友を大切にする、心やさしい人々』で、それはかつて熊襲の人々のもとでも感じたことだ。自分たちの先祖が放った呪詛が、今は自分
たちの治める大地と親睦を交わした人々の生活圏で発動したままなのだ。
皇子は和議を結んだ集落を発つ時には、兄弟でその呪いを封印する為の命懸けの神事を行い、そこに祠を建てた。そこに住む人々のために。
「どうかな。質問の答えはわかっただろう。」
声を発したのは甚六だった。グラウが疲れすぎぬように過去へのアクセスを区切りの良い辺りで解除させた。灰色の大きな狼は「グラシアス アミーゴ」と祠の親玉狐の配慮に小声で礼を伝えた。グラウはつい過去の時間に潜りすぎて疲れていた。素直に日本語でありがとうと言わないときの方が『本当に助かったよありがとう』なのは甚六の良く知るところだ。