グラウは甚六の部下の稲荷狐と猫の『ちゃ』、界隈の稲荷狐たちを前に自分が遠い過去に仕えたヤマトの皇子の話をすることにした。
それを察知した甚六は祠の供物の『気』を祠に集うみんなに与えた。稲荷狐たちは紙芝居か映画の鑑賞の前の子供みたいに菓子や稲荷寿司を楽しみながら、狼の話を待っている。
狼語り……これぞ『カタリベ』。日本古来の大切なものとは
「明治維新の神仏分離のとき、仏教の第六天神を勧請した由来が明らかな場合や、神社を管理する別当寺があるものは仏教の第六天に居る『他化自在天』として寺に場所を移して祀られた。移す寺のあてが無い第六天神は昔からの魔神の祠に後付けで同じ恐ろしい神の『第六天神』の呼称を与えられたモノだが、明治政府は本地垂迹説をこじつけて古事記の神世七代の……7代目が三峰のご祭神でもあるイザナギさまイザナミさまだが……六代目の神様を第六天神という事にした。旧第六天神社の幾つかは、天神の呼び名が同じ菅原道真を祀るようにしたモノもある。
この解釈は元にあった祭神を全く違う存在にすり替えるとんでもない事だった。が、古代からの『魔王の祠』は秘儀そのものをもってその地を魔や呪いから守っている。秘儀を施した場所をほじくり返さ無いように魔を祀り祠にしたのだね。人間が勝手に正体を推測しようが、違う神仏の名で祀ろうが強い魔に依る魔への封印は発動し続けている。後の世に天災や戦乱で祠が破壊されたり移動されても封印は発動し続ける。
だから明治維新にご祭神が違う神様になってもそこに抑えの力があることに変わりはない。日本武尊さまはヤマトの皇子として、その魔を持って悪を封印させる秘儀を知っておられた。強い祟りのある土地や河川の
氾濫、土砂の崩れる山の近くにその封印を仕掛けた。」
「祟りを強い神で押さえるために神社を建てるのはヤマトの民のよくやることだな。平安から鎌倉時代に古墳や城跡に八幡様の神社が建てられたのは、応神天皇さまの霊威で先住の豪族や城主の祟りを鎮めるためだろう。八幡様が多くなったのは源平合戦以降の武士の世で、恩賞で滅ぼした敵地をそのまま使うのは怖いから八幡神社建てまくったからだ。
神様の御御饌調達や豊作、商売繁盛を祈願して建てられた稲荷神社がどんなにか平和で建設的であるかだな。」
博識な甚六が稲荷自慢で受け答える。
グラウは「八幡も稲荷も多いのは人間の欲の産物なことに違いないさ」と言う。
甚六は「向上心と理解せよ。三峰の分社が少ないからってひがむな。ところで隅田川のほとりには、魔で抑えねばならぬ恐ろしいモノがいたのかい?」と、先ほどの話を聞いていればわかりそうな質問をするが、グラウはそれが何を意味するかわかる。
「ひがむもんか。で、日本武尊さまは父の景行天皇=ヤマト朝廷から、まだヤマトに帰属してない遠方の豪族の平定を命じられ東に遠征した。先住者達のいる所を求めて行軍するわけだから、現代で言う多摩川古墳群の田園調布・湧き水豊かな埼玉など、良い真水のある所にはそこに人が住み集落が有りそこを目指す。今で言う隅田川近辺は1900年前も川辺で人々が住む場所だった。入江と湿地だったけどね。たまにある高潮や豪雨の水害さえ無ければ、貝や魚をとって暮らせる良い所だった……。」