博物館にあった! 卑弥呼がもらった幻の鏡!?(レプリカです)
博物館にかえってくると、ニヤッと笑った先輩が「おい、こっちこい」とあることを教えてくれました。
「修行中の君にいいものを見せてやろう! この前の辰馬のやつ(景初4年の幻の卑弥呼の鏡)、レプリカだけどうちにあるぞ」
ほんとうだ…………これが卑弥呼の幻の鏡……
「まあレプリカやけどな。おまえ知らんかったのか?」
うわ~地元に住んでいて、こないだ辰馬博物館まで行った後で知るという笑
この卑弥呼の鏡、僕の住む高鍋町の持田古墳と、京都福智山。
この二つの場所でしか、同じ型の鏡は出ていないのです。
あまりにも貴重でセンセーショナルな鏡だったから、当時の週刊誌や考古学界は大騒ぎのお祭り状態だったのだといいます。
こんなところで逢えるとは驚き。
景初4年という架空の年代が語るもの
「この鏡はのちの時代の贋作だ!」
「中国は景初3年までしか残っていない! そんな鏡あるものか!」
「いや、意図的に景初4年を特別品としてつくったんだよ」
とか、いろいろな論争が繰り広げられ、まだその答えは出ていないのです。
福知山の鏡は騒がれるけど、高鍋のものは一切誰も触れない笑
実際どうだったんだろうという疑問もありますが、これは卑弥呼に鏡を与え、親魏倭王という賞号を与えた中国の当の王さまが、亡くなっちゃったから、年号が景初からかわり、本来なら4年なんてありえないのに、どうして同じ型のものが日本で二枚あるんだ? という疑問と、卑弥呼が中国の王に認められた前後に、どうして彼はなくなってしまったのか。
卑弥呼だってその数年後に謎の死を遂げていること。
なんかここに強烈な怪しさが漂ってくるのです。
天の岩戸開き神話も、アマテラスを誘い出した後、鏡を見せて引っ張り出している。
鏡に映る人間の姿は左右反対。男の天照大神(アマテル)と、女の天照大神(アマテラス)の実体。
「鏡のトリックが謎を解くカギ」であることは、この流れでもなんとなくわかることです。
鏡に隠された、日本最大のなぞにともくん一行が挑む!
謎の真相を知るのは、そのあと女王になったという後継者、トヨだけしかいないかもしれません。
歴史資料館に赴いて、当時の貴重な資料をもらって鏡の謎を追いかけていくと持田古墳の石室が本物がそこにおいてありました。
「これはほんものですか……」
展示係の方が、本物だと教えてくれました。
石船石棺というものだそうで、高鍋町にやってきた百済皇子らの船も、船だけは沈没したそうなので、土地に石船という地名が残っているという。
そこも臭う。
ここ周辺の棺桶から、鏡が出たのか…………としげしげみていると、持田古墳の上に立っている高鍋大師という謎の石仏群を建築した人のことを思い出しました。
この古墳は、昭和ごろに盗掘にあっていて、本来は盗掘にあったものが各地でもどってきたのだそうです。
これを建設したおじいさんが、「盗掘にあった古代人の霊を慰めるため」石仏群を建設したというけれど現地の美容院で何気に聞いた話だと「昔からの人々は、あれは実は、償いのために建設したとかいう話もあったそうよ」という風に伝え聞いたのです。
………………何らかの償いのために? 償いって、どういうことがあったんだろう。
その鏡が収まっている辰馬博物館も、唯一日本で伊勢神宮にお酒を「宮水(みやみず)」でつくって奉納し送り出している場所。
なにか関係する方々が知っているかなと思ったあけれど、さすがにそれ以上のことはわからなかった。
伊勢、アマテラス、そして古代に秘匿された真実。
日本神道に関する隠された何かが、そこにある…………僕は直感したのでした。
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(トップ画像/高鍋歴史資料館)