映画『誰がための日々』の舞台となる香港は、イギリスによる長い植民地化を経て中国に返還された。
香港は中国大陸との複雑な関係に揺れ続けている。
そんな香港の“今”を垣間見ることができるのも本作の魅力だろう。
互いを知らない父子の共同生活は母の不在からの“リスタート”
身体が不自由になった母(エレイン・ジン)を家族の中で唯一トン(ショーン・ユー)だけが献身的に世話する。
父(エリック・ツァン)は家に帰らずいくらかの送金をするだけ。
弟のチャンも母の希望に反し、アメリカで職を得て家庭を築き家に戻ってくる気配がない。
母は、幸せだった子供時代を思い出して微笑み、父との結婚を間違いだったと嘆き「父親そっくりだ。このクズが!」とトンを罵り恨み言を繰り返す。
エリートだった職を手放し、母の介護に専念するトンは介護鬱になり、ある事故を起こして母を亡くしてしまう。
無罪判決を得るも躁鬱病で入院させられたトンを、父が迎えにくる。
互いをよく知らない、しかし“母(妻)に拒絶された”という共通の痛みを持つ父子が、わずか徒歩2歩しかない極狭の部屋で共同生活を始める。
“香港人による香港人のための映画”は普遍的な問いかけをもたらす
トンと父が暮らすのは、賃料の高い香港に多くみられる、フロアをいくつかに区切り作られた、2段ベッドと生活用品を置くだけが精一杯の窮屈な部屋の一室だ。
同じフロアの他の部屋にはそれぞれ、まるで香港の縮図のような人々が暮らしている。
例えば隣人の母子は、大陸出身の母親には香港移住証がなく、香港生まれの息子は大陸のIDを持たない。
母は幼い息子に、貧乏から抜け出すため「勉強しろ」と口を酸っぱくして言い、息子は“お金にならない”夢を抱く。
その姿から生じる問いかけは香港に限らず、私達の多くに共通するものだろう。
多くの人はお金持ちになり、成功者になることこそが幸せだと教えられる。
果たしてそうだろうか。
その教えには、一方的な幸せの押し付けが含まれてはいないか。
『誰がための日々』という邦題からも、映画を観る私達の人生・生き方への問いを感じた。
「ダメ」だろうと、命も人生も続いていく
人は時に、悪意すらなく他者を攻撃することがある。
その原因の一つである無知の恐ろしさも本作は描く。
元婚約者のジェニー(シャーメイン・フォン)の告白による衝撃で病気を再発したトンを、周囲はまるで危険物のように扱う。
トンの病気について知ろうともしない人々に対し「息子の心をかき乱すのはやめてくれ」と声を荒げる父は、本を読んだり、同じように躁鬱病の家族を持つ人々の家族会に参加したりと努力する。
一方、トンの弟であるチャンは、たった一本の動画に映る兄の姿を見ただけでトンを「ダメ」だと判断し、病院への再入院を父に勧める。
他人はもちろん、例え家族であったとしても、人と人は心底の理解などできないのかもしれない。しかし“知ろう”とする努力を私達は怠るべきではない。
屋上でトンが父を抱きしめるシーンでは、互いを理解しようとする二人だからこその絆を感じ胸が熱くなった。
2019年2月2日から新宿のK’s cinemaほかで公開中の『誰がための日々』(原題:一念無明)は、新人監督ウォン・ジョン氏がわずか200万香港ドル(日本円で約3000万円)という低予算で制作したにも関わらず、220万USドル(日本円で2億5千万円)もの大ヒットを飛ばした香港映画だ。
主演のショーン・ユーとエリック・ツァンは日本でも話題となった映画『インファナル・アフェア』シリーズでの共演が印象に残る。
ウォン・ジョン監督が「とにかく香港の人々に見てほしい」という本作の脚本は、エリートの青年が両親を殺してしまった香港の実事件に着想を得て書かれている。
映画のラスト、私達には少し想像力が必要だ。
共に生きる決意を固めても、トンと父が抱える問題は決して解決しているとは言い難い。
どう生きていくのか、二人の今後を想像することは私達自身の生き方を考え直すことでもある。
『誰がための日々』(原題:一念無明)
2月2日㈯より新宿K’s cinema他全国順次ロードショー
監督:ウォン・ジョン
脚本:フローレンス・チャン
出演:ショーン・ユー、エリック・ツァン、エレイン・ジン、シャーメイン・フォン
2016年/香港/広東語/102分
配給:スノーフレイク
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公式サイト:http://tagatameno-hibi.com/