— 病気になった意味を知ればどうなるの? —
こんにちは!
mikaです。
病気になった人やその家族の話には必ずと言っていいほど同じ言葉が出てきます。
それは「なぜ、自分が病気になったのか」「なぜ、家族だったのか」という疑問の言葉。
病気になった人やその家族のほとんどは、まず「その意味」を知りたがる。
だけど、その意味はわかるものなのか……
わかったとしても、それで納得することができるのか……
それを知って「ああそうか、じゃ仕方ないね」と?
きっとそんなことは冷静になればわかるのに、その問いはその冷静さも失わせてしまう。
いつまでもそれから離れない。
そして、答えのでないその問いに心を彷徨わせ続けてることに
その問いがよけいな苦しみを作っていることに、ますます気づけなくなっていく。
— 心の病気を作りだせば治るものも治らない —
その問いは心を病気に引き込む。
身体が病で辛いのに、答えの見えないその意味を考え、より自分の心に負担をかける必要があるのだろうか?
「なぜ?」が見つかってもなんの治療効果もないのに。
胸から血が噴き出たなら、そこを治療すればいい
痛みで悲鳴を上げるなら、そこに対処すればいい
噴き出る血に心を寄り添わせ、「なぜ?」と心からも血を噴き出させる必要はない
痛みの中に心を引き込んで、「なぜ?」と心を傷つける必要もない
病気になった意味を考えても何の役にも立たない。
それを知ったからといって心が落ち着くこともない。
そればかりか、そんなことで心を迷わせると真正面から病気に向き合えなくなる。
心が弱ってくるとより暗く重い思考に引っ張られ現実が見えなくなってくる。
心を病気に引き込むと、本来の病気にも大きな影響を与えてしまう。
病気になったことを嘆くなかれ
その意味を探すなかれ
生きていれば、怪我もするし、病気もするし、死にもする。
それは信仰や前世などには関係なく、生きてるものすべてに当たり前に起こる。
病に指名されたわけではないのだから、そこに意味はない。
探しても見つからない。
そんな疑問で心を病気に引きずり込まないこと。
その起こってることだけにただ向き合うこと。
それが回復への何よりの近道であるように、余命と向き合った自分の心の経験から思う。
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