彼女は、自分が作っている祭壇や儀式の意味がまったくわかっていません。
「わかろう」という発想もありません。
それでいて、出所不明のチェーンメールに書かれた内容を信じて、1か月も天使を召喚し続けたのです。
リンゴは、キリスト教では「罪の象徴」とされます。
蛇(悪魔が化けたとされています)がイブを誘惑してリンゴを食べさせ、アダムとイブが楽園を追放された逸話から、リンゴはしばしば、蛇(悪魔)とセットで描かれます。
リンゴを食べさせる蛇は、サタンとも、ルシファーとも、堕天使サミュエルともいわれます。
どちらにせよリンゴを手にするものは悪魔とされ、「玄関に置かれたリンゴは、悪魔を呼び寄せる印」と、とれなくもないのです。
もちろん、これは、キリスト教的な解釈で、宗教や宗派によっては別の解釈もあるでしょうから、決めつけるわけではありません。
ここでいいたいことは、祭壇を作って、召喚文を唱え、玄関にリンゴをおくような——そんなことを実行するのならば、少なくともその前に、それは「どんな意味なのか?」「どういう理屈に基づいてそうしろといっているのか?」知ろうとしなければなりません。
問題なのは、そういう非理性的な態度なのです。
考える習慣をもつことが大事
天使を召喚する祭壇で、召喚される霊体はよい霊体でしょうか? 悪い霊体でしょうか?
召喚文は、漢文やサンスクリット、ヘブライ語などが多く、ぱっとみて意味がわかりません。
また、日本語や英語など意味が分かる場合も、必ずしも表面的な意味で召喚されるのではなく、霊体は言葉や文字に秘められた波動に感応してやってきます。
東洋的にいえば文の底に沈めた真の意味、カヴァラ的にいえば、ゲマトリア(数秘)による隠された意味に引かれてやってくるのです。
ですから、召喚文自体から、良い霊体か悪い霊体か判定するのは、一般の方には難しいと思います。
でも、ここで問題としているのは、そんなサイキックレベルの話ではありません。
それ以前の良識の問題です。
「チェーンメールなど、元々誰が書いたかわからないようなメールを鼻から信じるのですか?」と尋ねたところ、「信頼できる友人からのメールだったから」と返答されました。
ネットでも雑誌でもそうですが、著者のサインのない文章は、責任の所在が不明なので信じるに足りません。
「信頼できる友人」は、メールを転送した人で、書いた人ではないのです。
それは、根拠のない噂話や流言を横流するような行為です。
何でも疑うことと、何でも信じることは、根はいっしょです。
反射的に、すべて否定したり、肯定したりすることは、どちらも自分の頭で考えることを放棄しているのです。
その情報が正しいかどうかは判定するのは、「信じるに足る客観的な証拠」が必要です。
「信頼できる人が言ったから正しい」とか、「嫌いな人が言ったから間違っているに決まっている」ではありません。
しっかりと、内容を吟味して、自分自身で考えなければならないのです。
考えを誰かに委ねると、気楽かもしれません。
しかし、その時こそ、見えない魔物が人の心を支配します。
憑依されやすい人の特徴
「人がよくて、物事を深く考える習慣のない人」は、魔物に付け入られやすいタイプです。
「自分がない人」は、魔物にも取り込まれやすいのです。
よく、「霊障を受け易く困っているのですが、もらわなくなる秘訣はありますか?」と質問されます。
「自分がしっかりとある人」(我が強いという意味ではありませんよ。)は、少々もらうことはあっても、完全に憑依されてしまうことはありません。
なぜならば、「魔物は、潜在意識に語り掛けて、人を支配しようとする」ので、「深く考えずに、反射的に、無意識的に行動してしまう人」は、もっていかれやすいのです。
アメリカ大統領選では、SNSにデマが飛び交い、選挙の結果に大きく作用されたといわれています。
噂話的な無責任なものもあれば、敵を陥れるための戦略的なものもあったとされています。
その影響力の大きさに、ドイツでは、虚位の情報を流したものに対する罰則規定ができたとのことで……もはやネットにも、魔物は巣くっているのです。
流言飛言に惑わされず、一人一人が、主体的に考え、正しい判断ができることが、明るい未来のために必要なのです。
そうそう、神々の履歴書第3回で予告した「水の召喚術はどうなったんだ?」とのお尋ねがありました。
次回は話を元に戻して、「京都の神々の話」をさせていただきますね。
マユリ
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