神々の履歴書 第3回 神様にお願いする方法

願い事をするときは、その神様がどんな方で、どういう由来で、どういう性格の方か、よく知ることが大変重要です。

こんにちは。
サイキックリーダー&クリスタルセラピストのマユリです。

第2回目では、平安京には、神泉苑から召喚した水の結果が張り巡されており、現在も人々はその中で生活していることをお話しました。

古都京都にはたくさんの寺社があります。
この話は、マユリのヒーラーブログ「サイキックリーディングって何?」にも書いたのですが、ひとつ面白いエピソードをお話しましょう。

 

婚活がうまくいかない理由

婚活をされている方で、「結婚がうまくいかない理由」をしりたいと、クリスタル前世セラピーを行いました。
石をおくと、ビジョンが見え始めました。

最初に、縁側にすわり中庭を眺める着物の若い女性がみえました。
若奥様という風でしょうか……満月の夜で、彼女は月を眺めながらこう思うのです。

「お庭に、この月がきれいに映る池があったら、風流だわ……」何気に思いついたことでした。
そして、早速職人さんを呼んで、池のかわりに大きな手水鉢を庭に設置したのです。

何気に? いえいえ、一見、「何気に思いついた」ような「深い意味のない」ことでも、人の行動にはすべて理由があります。

この場合も、表面的な理由は、「月がきれいに映るから」「それはとても風情があって素敵」です。
でも、本当にそうでしょうか?
意識上の理由と、深層心理上の理由は、しばしば一致しないことがあります。
では、彼女の、深層心理にある本当の理由はなんでしょうか?

「手水鉢を置いた本当の理由はなに?」
こう質問すると、彼女(クライアント)の直観が、答えを導きます。
答えを示すビジョンがやってくるのです。
ちなみに、ビジョンをみているのは私ではなくクライアントで、見えたものを話してもらっています。

 

神様、現る‼︎

ビジョンが現れました。

先ほどの着物の女性が祠(ほこら)の前で、一生懸命に願をたてています。
「商売がうまくいきますように」と祈っているようです。
祠の横には、祠の主らしき方がたっています。

祠の主は、体は人間の男性で、頭はイノシシか……いえ、よくみると牛です。
牛頭馬頭(ごずめず)の牛頭のような姿をしています。
ギリシア神話のミノタウロスのような、古代メソポタミアのバール神のような姿といってもいいかと思います。

仏教では、牛頭馬頭というと地獄の獄卒なので、あまりいいイメージではないかもしれませんが、京都ではポピュラーな神様です。
キリスト教やイスラム教でも、悪魔のイメージですが、古代では神様として祀られていました。

着物の女性は熱心にお願いをしており、「……娘をあげます」という彼女の声が聞こえてきました。
それから、「その願い叶えたり」と、どこからともなく、声が響きました。
その瞬間、祠から般若の面がとんできて、彼女の頭につきました。
「何事がおきたのか?」全くきづかず、着物の女性は帰っていきました。

彼女が見たビジョンは、このようなものでした。
いったいこれのどこが、「婚活がうまくいかない理由」なのでしょうか?

 

捧げものの法則

ビジョンの中で人力車が走るのが見えました。
着物の女性が明治時代の先祖であると察した彼女は、家系図を引っ張り出して事実をしらべてきたのです。

事実、先祖は商家で、明治維新で多くの商家が没落していったところ、かえって勢いを増し、商売はかつてないほど繁栄していました。

商売が繁盛しますようにという願いは、見事にかなっていたのです。

けれども、商売繁盛の一方で、一人娘に家を継がせたところ子供ができず、血筋としては断絶してしまったのです。
その後、しかたなく遠い親戚から養子をとって跡取りとしたとのことでした。

そう、商売が繁盛して、血筋は途絶えたのです。
願いは叶いましたが、その見返りとして大きな犠牲を支払ったのでした。

 

神様に願を立てる方法

神々に願を立てるときは、見返りとして捧げるものが必要です。
元来は、米や魚、羊などですが、貨幣経済の発展とともに、お賽銭に変化しました。

では、着物の女性の捧げものは何だったのでしょうか?
「娘をあげます」
そう、願い事を叶えてもらう見返りは、娘だったのです。

古代では神への捧げものが人間の生贄の場合もありました。
月の女神アルテミスに捧げられたイピゲネイア、ヤマタの大蛇とクシナダヒメ、ヤハウエとイサクなど、世界中の神話や古代史に生贄の記録があります。
何を捧げるかは、願いの真剣さ度合いを示します。
もっとも大切なものを神に捧げること……自分自身の命や、自分の子供をささげることが、最大の願力を発揮すると考えてられていました。

古代では、実際に生贄が捧げられたのですが、ビジョンの女性が「娘をあげます」といったのは、さすがに明治時代ですから、神様にお仕えする巫女にするとか、そんな意味かと思います。
あまり深く考えずに、いったことかもしれません。