健全なるスピリチュアルリーダーの育成に力を注ぐ マサコメソッドサイキック&ヒーリングスクール主宰 アーントマサコさんインタビュー 〈第1回目〉

アーントマサコ

「幼少期から開いていた、人とは違う感受性とセンサー」

「健全なるスピリチュアルリーダーを養成したい」
——そんな想いから、現在「マサコメソッドサイキック&ヒーリングスクール」に加え「五反田TOCスピリチュアルフェスティバル」を主宰するアーントマサコさん。

御年70代に入ってなお、精力的に日本のニューエイジ&スピリチュアル・ムーブメントをけん引し続けるアーントマサコさんに、いろいろとお話を伺いました。

その内容を全3回でお届けしてまいりましょう。

 

【行方不明の叔父からのメッセージやタイムワープ体験】

——サイキック&ヒーリング能力で知られるアーントマサコさんですが、いつ頃からご自身の能力に気づかれたのですか?

アーントマサコさん:
4人兄弟の末っ子として生まれたのですが、母親いわく「いちばん変わった子だった」そうです。
幼少期に自覚していたのは、木、花、虫、風などと対話できることでした。
例えば木や花と向き合えば、「お水がちょっと足りないよ」などと当たり前のように語り掛けてくるのです。
子どもですから、みんなが同じことを体験していると思いました。
でも、兄弟や友だちと話していると、どうもみんなはそうではないことがわかり、
「なんでみんなは植物や昆虫と話さないのだろう」と、不思議に思っていました。
また、子どもの頃から歌うことが大好きで、合唱をやっていました。
ひとりでも暇さえあれば歌っていて、今思えばですが、歌いながら歌詞やメロディーをメッセージとして上から降ろす訓練をさせられていた気がしています。

 

——霊的なものも見えたりしたのですか?

アーントマサコさん:
はい、ありましたね。
例えば、高校1年生の頃に、叔父が私の前に現れました。
口は開きませんでしたが、思念で、心の声でこう語りかけてきました。
「私は大阪大空襲でもう死んでしまったから、お母さんに伝えておくれ、戸籍を消して、お墓を建てておくれ」と。

じつは叔父は、戦後行方不明になったまま、時が経っていました。
写真でしか知らない叔父は、きちんとスーツネクタイ姿の写真のままで、長い廊下からすっと、私に近づいて来ました。
家の廊下はそんなに長い廊下ではなかったのですが、15歳の私はその時とても長く遠くに見えました。
母にそのことを伝えると、「そんな事どうして分かるの?」と、きつく私を叱りつけました。
それから母と二番目の叔父と相談して、お墓を作り、戸籍を消しました。
しばらく時が経ち、何も入ってはいないお墓でしたけども、広島の叔父の墓にお参りしました。

「時間軸の移動」(タイムワープ)も体験しました。
19歳の頃、家の二階への階段をトントントンと上がると、そこは見慣れた部屋ではなく、見たこともない古びた家になっていました。

「アレッ!  どうしたのかしら?」と思いましたね。カーテンも古びていて、私はまるで空間に浮いているようでした。

そこは寂しい部屋でした。
ふと我に返り、なんだか不思議に思いながら階段を降りたのです

アーントマサコ

それから30年後、母が亡くなり遺体を病院から実家に連れ帰り、母に着せる浴衣を取りに二階に上がった瞬間、「アッ、あの時の部屋だ」と気がついたのです。
30年前に階段を上がった際、私は30年後の今にワープしていたんですね。