人間の価値は○○で決まる!? ~ 思い込みが人生を左右する ~

敢えてキレイ事は言いません!

「人間の価値は○○で決まる」と独断と偏見によって作られた定義はある意味危険です。
それが差別や偏見につながり、人生の質を低下させるかもしれないからです。

では「人生の価値は愛の深さで決まる!」とカッコ良いことを言ってみたところで、「でも、やっぱり、お金よねぇ……」なんて思ってしまうのもまた本当のところだと思います。
だからこそ、人間はそんなに単純ではないので、決めつけてかからない方がいいです

でも「外見の美しい人はチヤホヤされて人生の勝ち組じゃないですか?」と思うかもしれません。
「お金持ちは幸せじゃないですか!」とか。

ここで身も蓋もないことを言ってしまうと、実は「人生の価値は○○で決まる」にテキトーに当てはめたものが本当の場合もあるのです。

どういうことかというと、個人的なビリーフ(信念)が強く、それを物事の本質だと思っている人たちにとっては、それこそが価値なのです。

難しいことを言いましたが、簡単にいうと「そう本気で思っている人がいても不思議じゃないよね?」ということです。

○○が外見の良さなのか、お金なのか、経歴なのか、それは人それぞれ違うかもしれません。
私から見たら「そうかなあ?」と思えるようなことでも、その人にとってはものすごく重要なことかもしれません。
つまり、人それぞれということです。
違う言葉でいうなら個性です。

何が言いたいのかというと、つまりこういうことです。

「私はチヤホヤされないし、誰にも自分の存在価値を認めてもらない。やっぱり、人間は外見の美しさこそが価値基準なのね。私はブスだから人生終わっているのね……(エンドレス愚痴)」と思う人がいるとします。

実際にどうかは別としても、その人が属している集団(の大多数)が人間の価値は外見だと本気で思っている人たちだったら、外見が良くなければ相手にされないということです。
優しかろうと、仕事ができようと無価値ということなのです。
せいぜい便利な道具程度に思われるのがオチです。

とにかく才色兼備でも「人生の価値は経歴で決まる」と本気で思っている人たちと関わっている間は、美しかろうが賢かろうが、結局は見下されますし、相手にされないということです。

一方、自分自身も知らず知らずに人間を何らかの形でふるいにかけているはずです。
つまり、本当はお互い様なのです。

これって悪いことのように思えるかもしれません。
でもロマンチックな言い方をすれば、それこそが『相性』なのです。

自分と同じビリーフ(信念)を持ち、お互いに人間の価値基準を満たしていれば相性バッチリで、「私はなんて価値のある仲間に巡り合えたのかしら!」なんて嬉しい気持ちになってくるわけです。

もし、最初は同じ人間の価値基準の定義で意気投合していても、徐々に違和感を持ったり、価値観が変化してきたら、少なくとも自分の中で考え方が変わったということなのです。

そう考えると、完璧人間を目指す必要はないということがわかったのではないでしょうか。
自分がいるべき環境を探すなり、自分で作るなりすれば、違う価値観の人たちにどう思われようと、j分の人生の質は満たされるということなのです。

「あなたは体重が重いから人間としての価値はないわね……」と、たとえば誰かに言われたとしても、それはその人の中での価値観であり、「甘いスウィ―ツを一緒に食べて喜びを共有できる人って価値があるよね!」という仲間がいる集団に属せば、体重が重かろうと何だろうと価値ある人間と思って貰えるわけです。
それで、良いじゃないですか。

みんなそれぞれ個性を持って生まれてきたわけです。
自由に生きて良いのです。
誰かの人間の価値を勝手に軽蔑したりする必要なんてないではありませんか。

自分には受け入れられないことでも、相手にとっては重要な事かもしれない。
それをそっと認めてあげる。
それだけで十分なのです。

お互いが「みんな違って、みんないい」と思えれば、誰かを軽蔑したりせずに、お互いに幸せを目指せるのです。

 

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