人間の価値は○○で決まる!? ~ 思い込みが人生を左右する ~

人間は差別と偏見が大好き?

人間は残念ながら差別や偏見が大好きな生き物です。
それが悪いことだとわかっていても、たくさんの人たちは大なり小なり差別や偏見を無意識でやってしまっていると思います。

もちろん私自身も気を抜くとやってしまっていたりするかもしれません。
そこに自覚があれば改善できますが、気づかなければ、ずっとそれを続けてしまったりしますよね。

 

人間の価値は○○で決まる!?

ところで差別や偏見と言えば人間の価値基準とは何だと思いますか?
ためしに「人間の価値は○○で決まる」という文の中の「○○」の個所に自由に言葉を入れて考えてみて下さい。

「人間の価値は外見で決まる」
「人間の価値は偏差値で決まる」
「人間の価値は学歴、職歴で決まる」
「人間の価値はいくらお金を持っているかで決まる」
「人間の価値は仲間の数で決まる」
「人間の価値は家柄で決まる」
「人間の価値はDNAの質で決まる」
「人間の価値は如何にモテるかで決まる」
etc…。

口にこそ出さないかもしれませんが、おおよそこのような感じではないでしょうか。
いろいろ思い浮かんだと思います。
いろいろ思い浮かんでもちろん構わないです。
ただ、ここが重要なのですが、いろいろ浮かんだということは決定的な○○があるわけではないということでもありますよね。

ということはですよ。
いくら無意識とはいえども、何の根拠も説得力もない考えを妄信してしまうとものすごく危険なのです。

別に誰が何を信じて生きても確かに良いのです。
でも、誰かに何かを言われたわけでもないのに(言われたかもしれませんが……)「人間の価値は外見で決まる」と妄信していたら、自分が思い通りにならなかったり、運が悪かったりした時に「私は外見が悪いからこんなに惨めな人生を歩んでしまうんだ……」と勝手に結論付けてしまうのです。

最初にお話しした通り、人間は差別や偏見が大好きです。
それは他人に対してのみならず、恐ろしいことに自分自身に対しても知らず知らずに行ってしまうのです。

私は別に「良い人になりなさい」と言っているわけではありません。
ただ差別や偏見、変な先入観や思い込みは人生の質(QOL)を下げるから、そんなもったいないコトしない方が良いよと言っているのです。

もちろん、人間の価値基準の定義、しかも勝手に自分が思いこんだものを安易に他人に当てはめてしまうのもまた場合によっては失礼になるので気をつけた方が良いです。

「Aさんはお金持ちだから価値のある人間なんだ!」とか、そういうことです。
だって、それってAさんが仮にお金持ちじゃなかったら価値がないみたいに聞こえますよね。
「そんなことないけど……」と思うのなら、その勘違いした定義を勝手に当てはめない方が良いです。
だってその定義が本質的ではないとわかっているからこそ「そんなことないけど……」と思うわけですから。

安易に人間の価値に定義付けしてしまうと、その人の本質からどんどん遠のいてしまいます。
人間は多面性を持っています。
良い面も、悪い面も。それが複雑に絡み合って人生という経験を通して学び、変化し、成長して、成熟していくのです。