苦からの解放/「正語(しょうご)」~梵字画家と歩く仏教小径

ひとつの苦を回避するために違う苦を発生させる必要、ありませんよね。

人ごみとかまじやばいって。
毎日クリアリングしてエネルギーをせっかくきれいにしているのに、クリアリングしていない人に会ったらまたエネルギーが汚れちゃう。
汚れたらその分クリアリング強化しなくちゃいけなくなっちゃう。
人と会ってランチするくらいなら、家でやりたいことがある。
その日はちょっと時間が取れなくて、とか、先約があって、とか、仕事だから、とか、断れるフレーズっていろいろあるけれど、時間がないわけではないから嘘になる。
嘘をつくのはいらぬ罪悪感を生むから嫌だ。
「や、時間があってもあなたとは会わない、ってことですって」と、言いたい。
あーもーこれ、正直に言うしかない。

まぁおおむね、こんな感じ。

知ってしまったんです、「正語」を。
もう嘘のつけない身体になってしまったのです。
ですよね、ブッダ。

 

【真実の自分を明らかにする勇気】

「大切なのは角が立たないことではなくて、正しい言葉で話すこと。それが本当の意味でお互いを苦しみから解放すること」byブッダ

要するに、真実ではないことを話した時点で、その相手との間の顕在的な課題は回避できたように感じられるけれども、潜在的には嘘をついた罪悪感を持たずにはいられなくなるということです。いかなる理由をつけようとも、です。そうなるとその罪悪感の分だけ、自分自身への無自覚な攻撃を生んでしまいます。

ひとつの苦を回避するために違う苦を発生させる必要、ありませんよね。

自分の心の真実は何かを観じ、それをありのままに話すということが、本当の意味で苦しみから解放されることにつながります。
それは、真実の自分を、誰に対しても明らかにしていくということ。

生い立ちの中で抱いてしまった潜在的な痛みにより、私たちはこの世界が「そんなに親切であたたかいものではない」という誤解をしています。
自分自身の心の浄化を進め、世界の実相への理解を深めることは、とりもなおさずそうした傷ついた自分を抱き続ける「苦しみへのしがみつき」からの解放につながるということ。
ゆえに、ブッダは正語のワークを通して、真実の自分を明らかにすることを説いているのです。

ちなみに私は現在、「話を聴いてほしいので会いたい」「会って癒されたい~」と誘いがきたら、その方が癒されますようにと心から願い、腕のいいヒーラーや陰陽師を紹介することにしています。

 

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