歌に込められた沖縄への思い
青春映画の枠を超えた深いメッセージ
「ちいさな恋のうた」という歌がある。
MONGOL800の曲だ。
知らない人でも、きっと聴けば「ああ、知ってる」ということだろう。
それほどヒットしたということだ。
私も聴いて、「あっこの曲ね」と合点がいった口だ。
さわやかな曲。
それがこんな陰影を帯びた物語になるなんて……。
本作はこの歌にインスパイアされて作られた映画である。
しかも、プロデューサーは何度も沖縄に通い、8年もの歳月をかけたという。
脚本は平田研也。
アカデミー賞の短編アニメーション賞を受賞した「つみきのいえ」の脚本家だ。
最近では「22年目の告白-私が殺人犯です-」がある。
本作、号泣しました。
泣くなんて思いも寄らなかった。
でも、ものすごく泣けた。
それは、ただの青春もの、じゃなくて沖縄の問題が描かれていたからだと思う。
お話はお気楽な沖縄の高校生バンドが東京でのプロデビューが決まり、「やったー!」みたいなシーンから始まる。
ボーカルの亮多とギターの慎司は大の仲良しだ。
しかし、ふたりは突然の事故に遭い、ひとりは亡くなり、ひとりは記憶を失う。
ここでは、あえてどちらが死んだかは書かない。
それを分からなくさせる脚本が秀逸なので、その部分の描写を楽しんでほしいからだ。
どちらが死んだか分かった時点で胸を衝かれる。
そして、親友を失った主人公は生きる気力を失う。
そこへ、亡くなった少年の妹が現れ、「兄が作っていた曲を一緒に演奏して欲しい」と言う。
その曲は兄が米軍基地内に暮らすアメリカ人の少女、リサに聴かせようとしていた曲だった。
リサは少年の死を知らない。
妹はフェンス越しにリサに兄のこと、曲のことを話す。
そして、主人公、バンド仲間、妹たちが立ち直る話である。
フェンス越しの熱唱に涙!!
「何か大きなもの」の采配を感じる
これが、舞台が沖縄じゃなくて、「フェンス」というものがなかったらこれほどの感動はなかっただろう。
沖縄市民と基地で暮らすアメリカ軍の軍人たちの問題は根深いものがある。
今も基地移転問題がさっぱり解決の兆しが見えない状態だ。
しかし、フェンス越しに惹かれあう人がいたら、それはもう「ロミオとジュリエット」の世界なのだ。
うまく対立の構造を描き、気持ちを高める巧い脚本である。
フェンスが意味を持って出てくる度に涙が流れまくった。
ラストの渾身の演奏と絶叫のボーカルもフェンス越しなのだ。
泣くしかないよ、ここは。
また、死んだ少年が笑いながら彼らを見守るシーンもスピリチュアル要素たっぷりでもう涙涙……。何度も主人公と少年との思い出のシーンも出てきて、これもうるうる。
この歌に込められたMONGOL800の思いや、沖縄出身のプロデューサーの思い、そしてこの映画を今制作させた「何か大きなもの」の思いが詰まっているから、大きく私の心も動かされたのだと思う。
なにか、宿っている感があった作品だった。
私たちひとりひとりが沖縄のことを考える
沖縄をもう酷い目に遭わせないためにも
もうひとつ、特筆なのは妹役の山田杏奈の演技と歌声である。
最初、「んっ暗いし棒読み?」と思ったのだが、歌が、素晴らしい!! 高音で「ほ~ら」と入ってくる声がちょっとゾクゾクした。
歌手になれる声を持っていると思う。
彼女の声しか頭に残らなかった。
そして、彼女を理解しようとしない父親への怒声「ふざけんな!」。
彼女の悲しみに胸が張り裂けそうになった。
もう号泣。
このシーンはフェンスの別れシーンと双璧を成す本作の白眉のシーンである。
山田杏奈、スラリと伸びた足も綺麗な、今後要チェック女優である。
歌とギターは猛特訓したらしい。
さて、もう沖縄からアメリカ軍を追い出して、日本は自国で国防をするようしていったらいいと私は思っているのだけど(それくらい日本の自衛隊の技術やスキル、装備は高いのだ)、政府はいつまで沖縄を酷い目に遭わせる気なのか。
そんなことも考えさせられる悲しみに溢れた映画である。
私たち一人一人が日本国民として、沖縄の在りようを考えなくてはいけないと思う。
本作は、ただの青春映画じゃないのだ。
監督 橋本光二郎
脚本 平田研也
出演 佐野勇斗 森永悠希 山田杏奈 眞栄田郷敦 鈴木仁 トミコクレア 金山一彦 世良公則
中島ひろ子 清水美砂 佐藤貢三
※123分
※5月24日㈮~全国上映中
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