一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.176 「迫り来る嵐」

中国の国と時代のカルマを描く傑作!
傷だらけのかつての自分を見せられる

中国の罪を描いたような映画である。
観終わって、なんとも言えない気持ちになった。

中国の発展に置いてきぼりにされた小市民。
彼らは映画の中に始終降りしきる雨のようにうっとおしく気持ちが濡れて晴れ晴れしないまま、今も鬱屈を抱えて地方で生き続けているのだろう。
金持ちはどんどん金持ちに。貧民はどんどん貧しくなるばかり。
希望に溢れたあの日々はまやかしだったのか?
主人公がラストに見せる、放心したような無表情な目が痛々しい。
1997年って……約20年前、私もトンネルに入った頃だったなあ、と、主人公の放心に実はシンパシーを感じながら、自らの20年を苦い思いで振り返った。
中国の罪は時代の罪でもある。

1997年、中国の地方都市。
国営製鋼所保安部の警備員でありながら、刑事事件に首を突っ込んであれこれ捜査をするのが趣味のような主人公ユィ。
今日も若い女の連続殺人事件で3人目の被害者が発見された現場に急行。
親しくしている年配の警部からあれこれ状況を聞きだし推理する始末。
勤めている工場からは模範工員として表彰され、同僚からは公安への転職を勧められる。
そんな満足な日々の中、ユィはまた起きた連続殺人事件の犯人探しに躍起になる。
そして、どしゃ降りの雨の日、ユィは怪しい男を保安部の部下、リウと共に追い詰めるのだが……。

 

主人公は結局何を追っているのか?
洗練映像と泥だらけの追跡ギャップにハマル

全編雨がほぼ降っていて、びしょ濡れ、泥だらけ。
登場人物たちはひっきりなしに煙草を吸い、寒く凍えている。
アンニュイに空気が淀む。
主人公は、「えっ刑事じゃないんだよね?? アンタ」と驚く勘違いぶりで犯人逮捕に情熱を傾けていき、それは危険な暴走へと向かう。
その常軌を逸した様にハラハラする。
そして、だんだん、犯人を探す私の意識はこの男の狂気に注目しだす。
この人……狂ってる?
この映画は、何を描こうとしている?

映像が素晴らしい。
全カット芸術写真のよう。
特に犯人を追跡する雨の工場や列車の操車場、またアパートの外観など息を呑む美しさ。
ブラッサイの霧のパリのようである。
もっと荒々しいが。絵心のある監督だなあ、と感心していたら、写真撮影の修士号を持ち、映画のスチールと広告映像出身とのこと。
納得の飛びぬけた映像センスだ。
長編初監督とは思えない骨太で堂々とした演出。
哲学的な語り口。
観終わって陥る、とまどいと長く続く余韻。
どれも一流の手腕である(受賞多数)。
少々、観終わってから「ん??」とはなったが。
それは、想像力で埋める愉しみがある。

 

苦味をはらむ遠く懐かしい1997年。
トンネルを抜けた人に見える景色は?

しかし。
この中国の混迷。
迷路は今も続いていると思う。
スピリチュアル的に言うと、国にはその国ごとのカルマがある。
カルマは罪とも言える。
中国のカルマは深い。
また、時代のカルマもある。
1997年。香港が中国に返還された年だ。
1997年という時代。香港や中国映画に夢中だった私。
優れた香港、中国映画がたくさんあった。
私は今20年たって、もうトンネルを抜けることができた。
そして、トンネルの向こうを見ると、とても懐かしく夢のように苦い日々が遠くに見える。
それはもう、とても遠い。

そんなふうに、1997年の「傷だらけの私」を主人公の中に見つけることができる、本作はものすごい傑作なのである。

 

監督・脚本 ドン・ユエ
出演 ドアン・イーホン ジャン・イーイェン トゥ・ユアン
チェン・ウェイ チェン・チュウイー リウ・タオ

※119分
© 2017 Century Fortune Pictures Corporation Limited
※2019年1月5日(土)シネ・リーブル梅田、京都シネマ~全国ロードショー
配給 アット エンタテインメント

 

《一宮千桃さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/ichimiyasentou/?c=26311