人生を運任せにしていいの? — わたもり的インド映画案内

年の瀬となりましたが、新しい年を迎えるにあたり、ご利益を得て幸運をと願う方も多いでしょう。
でも、本当にそれで良いのですか?
あなたの人生を運や天任せにしていいの?

今回はいつもとは趣向を変え、インド映画大好きな私・わたもりが、インド映画をご紹介しつつ、「運命」や「神に願う事」について書かせていただきます。

 

インド映画「命ある限り」

あらすじ
インド陸軍少佐サマルは「死なない男」の異名を持ち、爆弾処理の時には絶対に防護服を身に着けません。
それは神との勝負であり、その陰にはかつての恋人との悲しい別れがありました。
インドと縁の深い国イギリスでミュージシャンを目指していた20代のサマルはインド系大富豪の娘ミラと恋に落ちますが、事故に遭い生死の境をさまよい、ミラは「彼の命を助けてくれるなら二度とサマルに会いません」と神に誓ってしまいます。
生還するも恋人を失ったサマルは夢も捨て、インドへ帰国し生死の境に立つことを自ら選びます。
10年後、サマルのドキュメント番組を制作する若き女性ADとの出会いにより、サマルとミラの止まっていた時間が再び動き出します。

監督は本作が遺作となったインド映画の巨匠ヤシュ・チョプラ。
主演はインド映画界の大スター、シャー・ルク・カーンで、夢を追う若者も、陸軍少佐も演じ分けるその役作りや演技力には脱帽します。
175分の大作ながら、巧みなストーリー展開と、インド映画ならではの歌やダンスシーン、イギリスとインドの美しい風景、爆弾処理シーンの緊張感にも決して飽きることはありません。

インド映画を見ていて思うのは、多神教の国で、神々や信仰、迷信を重要視する国だと言う事。
それは、日本にも通じるものがあります。

あなたは大切な人や何かを失いそうな時、神に祈り、何かを差し出そうと思いますか?

(画像提供/amazon DVD)

 

3人の女性の生き方

この映画には3人の女性が登場します。

主人公サマルの恋人ミラは大富豪の娘で、親の決めた相手と結婚するのを嫌だと思いながら逆らえず、自分の思い通りになるようにと神に祈ってばかりいます。

サマルに恋する若いインド人女性のアキラは超現代っ子で、欲しいものは何をしてでも手に入れ、彼氏もとっかえひっかえし、人生を自分で切り開くその逞しさはインド女性のイメージをひっくり返すようなインパクトを持っています。
そして、3人目は、親の決めた相手と結婚し、子を産み、インド系女性として最高の暮らしをしながらも、心から愛する男性に出会い、数年の逡巡の後に全てを捨て、娘を置いて家を出たミラの母親。

封建的で家長制度の強い古きインドと、カースト制度が廃止され約70年が経った現代インドが交錯する時代の女性たち。

私は初め見た時、極端すぎるアキラには辟易しましたが、お嬢様のミラには正直イライラしてしまいました。
ですが、何度か見るうちに、ミラがサマルに恋をする中で、少しずつ「いいなりのお人形さん」から自分を確立していく姿は、かつて「良い娘ちゃん」だった自分のようだと思い、アキラが魅力的に見えてきます。
また、同年代の女性として、ミラの母親の「本当に求めるもののために、大切な何かを手放す」という生き方に切なさを感じずにはいられませんでした。

 

神に祈り、願うと言う事

あなたは、「良い人、良い夫・妻、良い父・母、良い婿・嫁、良い息子・娘」であるために必死ではありませんか?
そうやって「自分はこう生きる」と言う芯を明け渡した為に、自分らしさを失い、自分の生き方を見いだせないから、自己啓発やスピリチャルに答えを求めていませんか?

自分の本心を隠して生きる芯を明け渡したように、自分の運命も神や運にゆだね、本当の望みをかなえる為に何かを差し出しますか?
それとも祈り願うばかりですか?

それは、間違っています。
自分の人生は自分で決め、自分でつかみ取るものです。

だからこそ見えない世界のもの達は、必死に私達の願いをかなえようとしてくれています。
今、この瞬間も。
他力本願な人には、それじゃダメだよ! と気づかせるための出来事を次々起こします。
そして、願ったもの、ではなく、その人に本当に必要なものをもたらします。

自分の人生は自分で決めて良いのです。
何かを得るために、何かを失わなくても良いのです。
この映画のラストシーンはそれを教えてくれるでしょう。

今年も沢山の方にお読みいただけましたこと、感謝いたします。
来年も皆様のお役に立つ記事を書いて行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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