一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.172 「ガンジスに還る」

聖地バラナシを舞台に描かれる
父親を見送る息子の逡巡と葛藤と許し

インドのガンジス河のことは有名なので知っていたが、その河の畔に死を待つ人々が暮らす施設があるなんて知らなかった。

その施設「解脱の家」が舞台である。
自らの死期を夢で悟ったという父親は、ガンジスの畔の聖地バラナシへ行くと言う。
多忙な息子や嫁、孫娘は困惑するが、固い決意の父親に息子はしかたなく仕事を休んで同行することに。
死を迎えるための施設にはいくつかの決まり事があり、「解脱しようとしまいと滞在は最大15日まで」なんて、じゃあ15日過ぎても死ななかったらどうするの?
すると施設長は「あの世へ行くも帰宅するもあなたの自由」と言う。
すごくインド的。
しかし、この施設に18年もいる女性もいるのだ。
名前を変えたら滞在できるそうで、なんかいいかげんで、いいな。
この父親もなかなかお迎えが来なくて、息子は仕事もあり、イライラするのだが、この間に確執があった父親と息子は許しあうことができる。

 

息子の嗚咽は生きながらの魂の解脱
許しなくして解脱はない

エリザベス・キュプラー=ロスの著書にあるように、死を前にした人の辿る意識の流れは怒り、葛藤、諦め、許容、許しと、最後には許しに至る。
息子はまだ働き盛りで、父親の行動が理解できない。
また、インド人とはいえ、バラナシへ来たのも、解脱の家も初めてで、戸惑い、いぶかしがる。
しかし、何日かそこで過ごすことによって、考えこむようになる。
自分のこと、娘の結婚のこと、父親のこと、死を迎えるとは?
家族の死を受け入れ、見送るとは?
息子は父親のすべてを許し、彼の死を受け入れる。
ラスト、父親の死骸を河まで担ぎながら、それまで無表情だった息子の顔が突然ゆがみ激しく嗚咽する。ここで、私も嗚咽してしまった。
父親の死によって、息子は格段に成長する。

 

ガンジスの混沌は今私の中の混沌でもある
それは、どこにでもある日常で、生で、死

インドには行ったことがないが、いつか死ぬまでには行ってみたいと思っている国だ。
ガンジス河には入りたくないが、行ったら入りそうである。
そこでは混沌とともに何が見えるのか?
きっと、いつもの日常だろう。
死は通過点で、また魂は甦る。
私は何度も生まれ変わっている。
しかし、一回一回の死はそれなりの別れがあったのだろう。
私は今生の死について日頃からもっと意識すべきだ。
いかに死を迎えるか?
覚悟は?
毎日手一杯で思いがついていかないが、本作は
そんな諸々に思いを強く至らせる一作である。

「解脱の家」。

そこでは皆が許しへの道を辿っている。
そこに同宿することは、大きな悟りが得られるのだろう。
日本にもあるといいな。
27歳の新人監督が撮った本作は、渋い味わいの生と死の物語である。

 

監督・脚本 シュバシシュ・ブティアニ
出演 アディル・フセイン ラリット・ベヘル ギータンジャリ・クルカルニ パロミ・ゴーシュ
ナヴニンドラ・ベヘル アニル・ラストーギー

※99分
© Red Carpet Moving Pictures
※10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開!
11月10日(土)~大阪ロードショー (東京・上映中)

 

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